朝日日本歴史人物事典 「大島友之允」の解説
大島友之允
生年:文政9.6.23(1826.7.27)
幕末維新期の対馬藩士。名は正朝,号は似水。文久2(1862)年尊王攘夷派による家老佐須伊織打倒に参加し,世子善之允(宗義達)を擁立。以後,長州藩と同盟して桂小五郎(木戸孝允)ら志士たちと交流しつつ,藩の要職にあって上方などで諸方と交渉した。翌3年対馬藩への幕府援助要求運動を主導し,元治1(1864)年幕府に朝鮮進出建白書を提出。慶応3(1867)年,(徳川)慶喜政権の朝鮮への使節派遣計画,明治1(1868)年,明治新政府の朝鮮への王政復古通告に深く関与し,翌年日朝国交交渉のため釜山倭館に赴いた。晩年は九州を巡歴し,長崎で没。日朝関係の転回に少なからぬ影響を与えた人物である。<参考文献>田保橋潔『近代日鮮関係の研究』
(木村直也)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報