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大島友之允 おおしま とものじょう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大島友之允 おおしま-とものじょう

1826-1882 幕末-明治時代の武士,官吏。
文政9年6月23日生まれ。対馬(つしま)(長崎県)府中藩士。文久2年保守派の江戸家老佐須伊織を討ち宗善之允(義達(よしあき))の藩主擁立に尽力。翌年大坂留守居,国事周旋掛。慶応2年大監察,側用人となる。維新後は外務省に出仕し,厳原(いずはら)藩参政となって日朝国交回復につとめた。明治15年8月9日死去。57歳。名は朝宗,正朝。号は似水。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

大島友之允

没年:明治15.8.9(1882)
生年:文政9.6.23(1826.7.27)
幕末維新期の対馬藩士。名は正朝,号は似水。文久2(1862)年尊王攘夷派による家老佐須伊織打倒に参加し,世子善之允(宗義達)を擁立。以後,長州藩と同盟して桂小五郎(木戸孝允)ら志士たちと交流しつつ,藩の要職にあって上方などで諸方と交渉した。翌3年対馬藩への幕府援助要求運動を主導し,元治1(1864)年幕府に朝鮮進出建白書を提出。慶応3(1867)年,(徳川)慶喜政権の朝鮮への使節派遣計画,明治1(1868)年,明治新政府の朝鮮への王政復古通告に深く関与し,翌年日朝国交交渉のため釜山倭館に赴いた。晩年は九州を巡歴し,長崎で没。日朝関係の転回に少なからぬ影響を与えた人物である。<参考文献>田保橋潔『近代日鮮関係の研究』

(木村直也)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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