新印象主義を代表するフランスの画家。12月2日、パリの富裕な家庭に生まれる。1875年に彫刻家ジュスタン・ルキアンJustin Lequien(1826―1882)について素描を学ぶ。3年後エコール・デ・ボザールに入学、アングルの弟子アンリ・レーマンHenri Lehmann(1814―1882)の指導を受けるが、翌1879年に退学。1年間兵役のためブレストで過ごしたのち、パリに戻って素描に励み、ミレーを思わせる人物像や風景などを、滑らかな画肌をもった薄明のなかに描き出す。同時に、学生時代から関心を抱いていた色彩学の研究に熱中し、シュブルール、シャルル・ブランCharles Blanc(1813―1882)、オグデン・ルードOgden Rood(1831―1902)などの光と色彩に関する科学的著作を熟読、また、ドラクロワの日記や作品を研究し、その色彩の対比や補色の使用を解明するノートを作成する。こうした色彩分析の成果は最初の大作『アニエールの水浴』において示された。この絵は1884年に設立されたアンデパンダン展に出品され、これを機にシニャックと親交を結んだ。シニャックの示唆によりあらゆる土色の色調をパレットから排除し、さらにシステマティックな点描法を発展させて、これまで追求してきた光学的処方の全面的な実践である大作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を1886年の最後の印象派展に出品した。これはシニャックやピサロらの作品とともに、新印象主義の誕生を宣言するものであった。さらに彼は色彩理論に加えて構図に対しても科学的なアプローチを試みた。『サーカスの客寄せ』や『シャユ踊り』などの作品のなかには、色彩のみならず線や運動の表現的可能性を探究したシャルル・アンリCharles Henry(1859―1926)の実験心理学や生理学の理論の反映が認められる。急性のジフテリアにより1891年3月29日、大作『サーカス』を未完のまま31歳でパリに没した。
[大森達次]
『ピエール・クールティヨン著、池上忠治訳『スーラ』(1969/新装版・1994・美術出版社)』▽『乾由明解説『新潮美術文庫32 スーラ』(1974・新潮社)』▽『ルイ・オートクール著、黒江光彦訳『印象派の巨匠たち10 スーラ』(1976・小学館)』
フランスの画家。新印象主義の中心人物。パリの富裕な家に生まれ,生活のために働く必要がなく,絵画に専念できた。1878年エコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学。アングルの弟子レーマンHenri Lehmannに学ぶかたわら,アングル,ドラクロア,ベロネーゼ,ピュビス・ド・シャバンヌを研究するとともに,印象主義にも興味をもち,シュブルール,ルッドなどの色彩理論に感化されて,科学的な秩序に基づいた画面構築を志向する。これは結果として,いまだ直観的で恣意的だった印象主義を体系化することになった。この際,決定的だったのは〈色彩の同時的対比(コントラスト)〉(シュブルール)という考え方である。82-83年,対象を輪郭のぼんやりとした影のように表現するデッサンによって明暗のコントラストを探究し,83年,油彩による最初の大作《アニエールの水浴》に着手する(1884完成)。スーラの本質ともいうべき,冷ややかな静けさに満たされたこの作品は,84年,彼自身創立メンバーの一人だったアンデパンダン展(第1回)に出品され,シニャックの共感を得る。以後,二人はともに,純色を点描によって並置することで輝かしい視覚混合を生み出す(点描主義)一方で,画面全体を幾何学的な秩序感覚で統合する,いわゆる新印象主義を基礎づけていく。86年の《グランド・ジャット島の日曜日の午後》はそのみごとな成果であり,そこでは色彩,形態,構図のすべてが稠密に秩序づけられている。彼のこうした秩序志向は,同年出会った象徴主義的美学者アンリCharles Henryの〈科学的美学〉(一定の色彩,線の方向に一定の感情を照応させる,というもの)によって強化され,《客寄せ道化》(1887)をはじめとする,静謐(せいひつ)で象徴主義的な一群の風俗画,また神秘的に静まりかえる海景画が数点描かれ,これらは当時親交のあった象徴主義者たちの間で評判をよんだ。32歳で夭逝。秘密主義に徹した生涯には謎の部分が多いが,その作品は19世紀末から20世紀初頭にかけて,絵画が対象にとらわれない色彩それ自体の可能性を追究していく過程で決定的な影響力をもった。
執筆者:本江 邦夫
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…日本では,〈後期印象派〉という訳語はすでに大正期にみられたが,適切とは言えず,〈印象派以後〉と理解すべきものである。展覧会の出品作家は,マネを特例として,ゴーギャン,セザンヌ,ゴッホ,ルドン,ナビ派(ドニ,セリュジエ),新印象主義の画家たち(スーラ,シニャック,クロスHenri‐Edmond Cross),フォービスムの画家たち(マティス,マルケ,ブラマンク,ドランら)といった,印象主義から出発し,それをこえようとした雑多な画家たちであり,そこには表現主義的な傾向が顕著とはいうものの,格別の枠組みがあるわけでもなく,〈Post‐Impressionists〉は,フライ自身も言うとおり,あくまでも便宜的な呼称にすぎなかった。この呼称が主として英語圏でしか用いられないのはこのためである。…
…フランスで19世紀末,1880年代前半から90年代にかけて,まずスーラ,ついでシニャックを中心に展開された絵画運動。〈新印象主義〉という呼称は,象徴主義的美術批評家フェネオンFélix Fénéonによる。…
※「スーラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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