日本大百科全書(ニッポニカ) 「大日本労働至誠会」の意味・わかりやすい解説
大日本労働至誠会
だいにほんろうどうしせいかい
1902年(明治35)5月、永岡鶴蔵(ながおかつるぞう)、南助松(みなみすけまつ)を中心に北海道夕張(ゆうばり)で結成された鉱山労働者の組織。当初は、労働者の品位を高めることでその地位の向上を図ろうという修養団体的な性格が強かったが、急速に労働組合組織への志向を強めた。至誠会の性格の変化には、片山潜(かたやません)が大きな影響を与えていた。永岡は03年に夕張を去り足尾(あしお)銅山へ渡って鉱夫の組織化を企図、南を招き06年10月に至誠会足尾支部を設立した。夕張の組織は南が去ったのち衰退した。至誠会足尾支部は、労働者に労働条件の改善を訴え、2か月間で会員600人に達する発展をみせた。07年2月に至誠会に集まる鉱夫の不満が爆発、足尾銅山争議が始まると、政府は軍隊を用いて争議を弾圧、多くの労働者が検挙されて至誠会の組織は壊滅した。
[三宅明正]
『中富兵衛著『永岡鶴蔵伝』(1977・御茶の水書房)』