永岡 鶴蔵
ナガオカ ツルゾウ
明治期の労働運動家
- 生年
- 文久3年12月9日(1864年1月17日)
- 没年
- 大正3(1914)年
- 出身地
- 大和国大日川村十二番屋敷(現・奈良県西吉野村)
- 旧姓(旧名)
- 中井
- 経歴
- 全国各地の金属鉱山を転々とし、明治23年上京してキリスト教を学ぶ。以後、働きながらキリスト教を伝道するため鉱山に戻った。はじめは「耶蘇」を嫌われて鉱夫仲間からさえ迫害されたが、26年院内銀山のストライキに成功。以後も各地の鉱山で「団結の必要」「労働の神聖」を説いてキリスト教の立場から労働運動をすすめた。35年北海道夕張炭鉱で南助松と共に大日本労働至誠会を結成。片山潜の影響を受け、足尾銅山に移る。39年労働至誠会足尾支部を設立、賃上げ要求を中心に活動し、急速に会員をふやした。40年足尾暴動の際に逮捕、起訴されたが無罪となった。39年結成の日本社会党員でもあった。その後玩具の製造販売をし、その中で銀貨型のメダルを作って貨幣偽造行使罪に問われて懲役3年6カ月に処せられ、服役中千葉監獄で病死した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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永岡鶴蔵 (ながおかつるぞう)
生没年:1863-1914(文久3-大正3)
明治期の労働運動家。奈良県出身。鉱山の坑夫だったとき,キリスト教を知って労働者の救済と組織化のために生きることを決意し,1893年院内銀山で鉱業条例遵守要求のストライキ,秋田県で鉱夫税反対闘争を指導し成功した。のち北海道夕張炭鉱に移り,1902年運搬夫の南助松と大日本労働至誠会を結成した。片山潜の影響で鉱山労働者の全国組織結成を決意,足尾銅山に移り活発な運動を展開し,06年12月南とともに労働至誠会足尾支部を設立した。翌年の足尾鉱山暴動のさい起訴されたが無罪となる。その後,生活のため玩具の製造販売をしていたが,2銭銅貨を改造した銀貨形メダルを試作し,貨幣偽造行使罪に問われ入獄,獄中で病死した。
執筆者:梅田 俊英
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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永岡鶴蔵 ながおか-つるぞう
1864*-1914 明治時代の労働運動家。
文久3年12月9日生まれ。各地の炭坑ではたらきながら,キリスト教をまなぶ。明治35年北海道夕張炭鉱で南助松と大日本労働至誠会をつくり,39年栃木県足尾銅山で同会足尾支部を発足させるが,40年の暴動事件で首謀者として投獄された(裁判で無罪)。大正3年2月10日死去。52歳。大和(奈良県)出身。旧姓は中井。
【格言など】正義人道のために献げたい(懺悔(ざんげ)して)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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永岡 鶴蔵 (ながおか つるぞう)
生年月日:1863年12月9日
明治時代の労働運動家
1914年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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