南助松(読み)みなみすけまつ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「南助松」の意味・わかりやすい解説

南助松
みなみすけまつ
(1873―1964)

明治後期の労働運動家。明治6年8月10日石川県に生まれる。22歳で上京台湾での軍夫生活を経て、北海道で書生、店員、漁師などさまざまの仕事に従事し、1896年(明治29)夕張(ゆうばり)炭鉱坑夫となる。99年札幌での帝国坑夫共済会の設立に際し、夕張鉱の同僚永岡鶴蔵(ながおかつるぞう)らと創立委員になる。その後、西川光二郎(みつじろう)の著書を通じて社会主義に接近し、1902年(明治35)、夕張で労働者の組織である大日本労働至誠(しせい)会が設立された際は、永岡とともに主導的役割を果たし、一時その会員は1300人を数えた。06年、永岡の招きで足尾(あしお)銅山に移り、至誠会足尾支部を結成した。07年の足尾暴動では「首魁(しゅかい)」として逮捕、起訴されたが、裁判の結果無罪となった。晩年菊水と号した。昭和39年10月15日東京で死去

[桑原真人]

『村上安正「南助松」(『思想の科学』第119号所収・1971・中央公論社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「南助松」の解説

南 助松
ミナミ スケマツ

明治・大正期の労働運動家



生年
明治6年8月10日(1873年)

没年
昭和39(1964)年10月15日

出生地
石川県鹿嶋郡端村(現・七尾市)

経歴
日清戦争の時軍夫として台湾に渡り、のち北海道に行き弁護士の書生など仕事を転々とし、明治29年夕張炭坑の運搬夫となった。35年永岡鶴蔵とともに大日本労働至誠会を結成し、39年足尾銅山に行き至誠会足尾支部を結成。40年鉱夫と職員との対立があり検挙されるが、判決は無罪であった。出所後は書籍商などを営み、至誠会の再興をはかったが成功しなかった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南助松」の解説

南助松 みなみ-すけまつ

1873-1964 明治-昭和時代の労働運動家。
明治6年8月10日生まれ。北海道夕張炭鉱ではたらき,明治35年永岡鶴蔵(つるぞう)と大日本労働至誠会を結成。足尾銅山にうつった永岡をたすけ,39年至誠会足尾支部を組織。40年の足尾銅山争議首謀者として検挙され,無罪となったが組織は壊滅した。のち雑誌を発行し,運動の再建をめざした。昭和39年10月15日死去。91歳。石川県出身。

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367日誕生日大事典 「南助松」の解説

南 助松 (みなみ すけまつ)

生年月日:1873年8月10日
明治時代;大正時代の労働運動家
1964年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の南助松の言及

【永岡鶴蔵】より

…鉱山の坑夫だったとき,キリスト教を知って労働者の救済と組織化のために生きることを決意し,1893年院内銀山で鉱業条例遵守要求のストライキ,秋田県で鉱夫税反対闘争を指導し成功した。のち北海道夕張炭鉱に移り,1902年運搬夫の南助松と大日本労働至誠会を結成した。片山潜の影響で鉱山労働者の全国組織結成を決意,足尾銅山に移り活発な運動を展開し,06年12月南とともに労働至誠会足尾支部を設立した。…

※「南助松」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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