大朝新庄(読み)おおあさしんじよう

日本歴史地名大系 「大朝新庄」の解説

大朝新庄
おおあさしんじよう

大朝本庄に続いて成立した荘園と思われるが、正和二年(一三一三)頃の吉川氏来住当時、すでに本庄とは区別されていたらしい。荘域は現在の宮迫みやざこ、新庄の新庄市しんじよういちごうさき田中原たなかばらの辺りに比定される。

康永三年(一三四四)七月日付の無品親王庁解(妙法院文書)によれば、性守僧正が妙法院門跡管領のとき子細あって正和元年に「馬州大垣御厨」と大朝新庄を交換し、妙法院領となったことが知られる。観応三年(一三五二)閏二月九日付の足利直冬下文(吉川家文書)によれば、地頭職(土貢二〇〇貫)勲功の賞として安芸吉川氏の祖経高の甥で石見吉川氏の宗家経兼に宛行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む