百科事典マイペディア 「大本教弾圧事件」の意味・わかりやすい解説 大本教弾圧事件【おおもときょうだんあつじけん】 (1)第1次。1921年5月大本教の創始者出口(でぐち)なおの娘婿出口王仁(おに)三郎が,大本教の本部京都府綾部(あやべ)に神政政治実現を図ったとの理由で不敬罪(ふけいざい)で起訴,控訴審中に出獄し満州に密航,張作霖(ちょうさくりん)の保護で大本ラマ教を創始,1927年大赦令で免訴。(2)第2次。1931年以降昭和青年会などが組織され,ファッショ団体的性格をもったが,1935年12月不敬団体として治安維持法違反容疑で幹部60名が一斉検挙,本部は爆破。→関連項目大本教 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by