天皇,太皇太后,皇太后,皇后,皇太子,皇太孫,皇族,神宮または皇陵に対して〈不敬〉の行為をする罪,〈不敬〉という語は中国の漢律に見られ,隋・唐以後の律〈十悪〉にも含まれている。日本ではのちに不敬罪として制定される規定の原案は,明治期にG.E.ボアソナードの起草した〈日本帝国刑法のための草案〉を基にして作成された〈日本刑法草案〉(1877)においてであった。これが太政官の刑法草案審査局での審議を経て制定されたのが,1880年のいわゆる旧刑法117,119条であった(1882年1月1日施行),ここで不敬罪ははじめ法文化され,最高刑重禁錮5年とされた。1907年公布の新刑法74,76条では,最高刑懲役5年と改定された。この新刑法で神宮に対しても不敬罪が適用されるようになった。しかし,〈不敬の行為〉の内容はあまりにあいまいで,適用範囲の拡大をもたらした。たとえば,11年の大審院判決には〈不敬罪ハ不敬ノ意思表示ヲ為スコトニ因リテ完成シ他人ノ之ヲ知覚スルト否トハ問フ所ニ非ス〉とあるほどである。42年の総選挙に際して尾崎行雄が行った応援演説中に,〈売家と唐様で書く三代目〉という川柳を引用したことが,天皇家に対する〈不敬〉であるとして問われた事件もその例である。
第2次世界大戦後,日本国憲法の制定と関連して不敬罪についても議論された。この間,1946年の食糧メーデーの際に,〈ヒロヒト 詔書 曰ク 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイ ギョジ〉と記したプラカードを持ってデモに参加した松島松太郎は,不敬罪で起訴された(プラカード事件)。これに対し,マッカーサーは法のもとにおける平等を強調し,天皇といえども一般国民以上の法的保護を与えるべきでないとする見解を発表し,刑法73条から76条の削除を指令した(事件は,第一審判決において,不敬罪ではなく名誉毀損(きそん)罪で懲役8ヵ月,第二審で大赦令にもとづき免訴)。この結果,47年の刑法改正で不敬罪(皇室ニ対スル罪)は消滅した。
執筆者:黒田 満
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第二次世界大戦前の刑法には、その第二編「罪」のなかの第1章に「皇室ニ対スル罪」という章があり、その第74条は「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ處ス 神宮又ハ皇陵ニ對シ不敬ノ行為アリタル者亦(また)同シ」と規定し、第76条は「皇族ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ二月以上四年以下ノ懲役ニ處ス」と規定していた。同様の規定は旧刑法第117条および第119条にもみられた。これらが不敬罪である。不敬罪の実質は皇室に関する名誉毀損(きそん)罪の特別罪である。しかし、個人の平等を尊重する日本国憲法の趣旨により、昭和22年法律第124号により、不敬罪を含む「皇室ニ対スル罪」は削除され、現行法には不敬罪は存在しない。
[名和鐵郎]
1880年(明治13)公布の旧刑法に規定された皇室に対する罪の一つ。要件は「不敬ノ所為アル者」で,天皇・三后・皇太子・皇陵に対し同罪を犯した者は,(1)3月以上5年以下の重禁錮,(2)20円以上200円以下の罰金付加の罪をうけ,その他の皇族に対する不敬罪に問われた者は,(1)2月以上4年以下の重禁錮,(2)10円以上100円以下の罰金付加の範囲内で処罰されると規定されていた。1907年公布の刑法でも重禁錮が懲役と改められ,罰金付加の文言がとり除かれた。皇陵と同列に神宮が追加され,不敬罪は踏襲された。47年(昭和22)の刑法改正により削除された。
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