刑事事件の審判を裁判所に請求する意思表示。日本では,刑事訴追はすべて公訴であるから,起訴とは〈公訴の提起〉を意味する。どのような機関が刑事訴追の主体となるかは,国または時代により差異がある。私人訴追を伝統とするイギリスでは,刑事訴追は,おもに,法秩序維持に関心を有する一私人としての警察官をとおして行われる。一方,検察制度成立後のヨーロッパ大陸では,国家機関である検察官が刑事訴追を行う中心的存在となった(国家機関のみが刑事訴追を行うことを〈国家訴追主義〉という)。もっとも,これらの国でも,一定範囲の軽罪に対する私人訴追や私人の公訴参加など被害者が手続を開始させたり,手続に関与することも認められている。
これに対し,日本では,国家訴追主義には例外がなく,刑事訴追の公的性格はきわめて鮮明であり,被害者その他の者は,告訴,告発をし,または検察審査会へ審査請求をするなどにより,国家機関が公訴を提起するよう働きかけることができるにすぎない。さらに,国家機関として公訴提起の権限を有するのは検察官だけである(これを〈起訴独占主義〉という)。そもそも検察官は公訴権行使のために設けられた機関であるから,検察官が公益の代表者として起訴を独占するのは必然的な方向であるが,日本ではその度合いがとくに高い。すなわち,公務員の職権濫用罪に関する〈裁判上の準起訴手続〉(〈付審判請求手続〉ともいう)において,裁判所の決定により公訴提起があったものとみなされ,検察官の職務を行う弁護士(いわゆる〈指定弁護士〉)が公訴の維持にあたるのが,唯一の例外である(刑事訴訟法262~269条)。これは,検察官が不当に起訴しない場合の弊害を防ぐため,起訴独占主義を修正したものである。検察官以外の機関が起訴したり(アメリカの大陪審),検察官以外の機関が公判に先だち起訴の当否を審査する(フランスの予審)ようなことは,日本においてはない。
起訴は重大な訴訟行為であるから,公訴を提起するには,犯罪事実に関する十分な証拠があり,かつさまざまな法律上の要件を満たしていなければならない。以下に述べる公訴提起の条件は,裁判所が管轄をもっていることなどとともに,裁判所が適法に審判するための条件でもあり,これらをあわせて〈訴訟条件〉という。公訴提起の条件が欠けている起訴に対しては,裁判所は,事件の実体について審理することができず,公訴棄却または免訴の裁判で手続を打ち切らなければならない。公訴提起の条件のおもなものは,(1)被疑者の特性に基づくもの(自然人の死亡または法人の消滅がないこと,未成年者につき家庭裁判所の判断を経ていること,外国人につき日本の裁判権の及ぶ者であることなど),(2)被疑事実の性質に基づくもの(犯罪後の法令で刑罰法規が廃止されたものでないこと,大赦があったものではないこと,公訴時効が完成していないことなど),(3)手続上の事由に起因するもの(二重起訴でないこと,すでに確定判決を経たものでないこと,親告罪について告訴があることなど)である。
検察官は,このような条件がすべて満たされた場合であっても,必ず起訴しなければならないわけではない。すなわち,犯人の性格,年齢および境遇,犯罪の軽重および情状ならびに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは,公訴を提起しないことができるのであり,公訴の提起について広い裁量権が与えられている(248条)。これを起訴便宜主義といい,ドイツ法のようにこのような裁量を認めない原則を〈起訴法定主義〉という(もっとも,ドイツ法においても,軽微犯罪,国外犯罪,余罪などについて起訴法定主義の例外が認められている)。起訴便宜主義の利点は,不必要な訴追を回避することにより犯罪者の改善更生に資することができること,刑事司法の重点を真に訴追が必要な犯罪におくことができることなどである。日本で起訴便宜主義が法規の明文で定められたのは1922年の刑事訴訟法からであるが,実務上は明治時代から実質的に起訴便宜主義によっていたとされる。犯罪の嫌疑があるにもかかわらず起訴便宜主義の観点から起訴を差し控えることを〈起訴猶予〉という。起訴猶予は,犯罪の司法前処理の性格を持つ。もっとも,起訴猶予であると証拠不十分その他の理由によるものであるとを問わず,不起訴処分は確定力をもつものではないから,事情変更その他の理由で将来において同一事件について公訴を提起することは可能とされる。実際の運用面では,検察官は,訴追に関する裁量権を十分に活用しており,綿密な捜査と慎重な刑事政策的判断により,検察官同一体の原則のもとで,統一のとれた事件処理を行っているといってよい(なお,少年の刑事事件については,家庭裁判所の判断が優先し,原則として検察官は起訴の相当性を判断することはできない。少年法20条,45条5号)。最近の統計によれば,全事件の起訴猶予率は70%以上にも及ぶが,刑法犯(交通事故の業務上過失事件を除く)に限ると,その率は30%強である。交通事故の業務上過失事件の起訴猶予率が高く,全事件での率に影響を及ぼしている。
しかし,検察官による裁量権の行使が不適切である場合がないと言いきることはできず,これに対するコントロールが制度的に定められている。まず,告訴人,告発人および請求人は,検察官が起訴,不起訴の決定をしたときは,すみやかにその旨の通知を受ける権利を有し,また,不起訴処分の場合は,検察官よりその理由の告知をうけることができる(刑事訴訟法260条,261条)。これは,告訴などのあった事件について,検察官の判断を慎重ならしめるとともに,告訴人などに不服がある場合に検察審査会への審査請求などの次の手段をとる機会を供与する趣旨である。検察審査会は,告訴人などの申立てによりまたは職権で審査を開始し,その結果,検察官に不起訴処分につき再考を求めることができる(検察審査会法2条,30条,40条,41条)。さらに,前述の公務員職権濫用罪に関する準起訴手続も,検察官の訴追裁量に対するコントロールの機能を営んでいる。これらは,いずれも検察官の不起訴処分に対する控制として働くが,不当な起訴に対する抑制手段は,法制上は予定されていない。そのために編み出された実践的主張が〈公訴権濫用〉の理論である。
検察官が公訴を提起するには,起訴状を管轄裁判所に提出しなければならない(刑事訴訟法256条1項)。起訴状には被告人の氏名その他被告人を特定するに足りる事項,公訴事実および罪名のほか,公務員の作成する書類に要求される事項(作成年月日,作成者の署名押印,所属検察庁。刑事訴訟規則58条)が記載される。公訴提起の効力は,起訴状に記載された被告人および犯罪事実にしか及ばない(これを〈不告不理の原則〉という)。公訴事実は,訴因を明示して記載し,訴因を明示するには,できる限り日時,場所および方法をもって罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない。訴因は,検察官によって公訴提起の対象とされた犯罪事実であり,裁判所の審理判決の権限および責務はこれにより限定され,被告人にとっては防御すべき範囲が明らかになるという意味をもつ。訴因は,起訴状の記載で完全に固定されるものではなく,審理の経過により変更が必要となる場合があるが,訴因の追加,撤回,変更の権限および責務は検察官にあり,裁判所は,検察官が設定した訴因に該当する事実があったかなかったかの判断のみに関心を集中すべきものとされる。ただし,訴因の変更は無制限に許されるものではなく,公訴事実の同一性が認められる範囲に限られる。まったく公訴事実が異なる場合には,訴因変更ではなく,別事件として起訴するほかない。罪名は,適用すべき罰条を示して,起訴状に記載しなければならない。罰条の変更は,訴因変更に準ずる。起訴状には,裁判官に事件につき予断を生ぜしめるおそれのある書類その他の物を添付しまたはその内容を引用してはならない。旧刑事訴訟法の時代には,起訴と同時に捜査記録も裁判所に提出されていたが,予断を防止する趣旨から,これは禁じられることになった(いわゆる〈起訴状一本主義〉)。なお,裁判所は,遅滞なく,起訴状の謄本を被告人に送達しなければならない(刑事訴訟法271条1項)。
公訴提起により,事件が裁判所に係属する。裁判所は,起訴された事件について審判する義務を負うと同時に,その事件について司法権を行使する権限(審理判決する権限,訴訟指揮権などの権限)を取得する。また,公訴提起により,公訴時効の進行が停止する(刑事訴訟法254条)。検察官は,第一審の判決があるまで公訴を取り消すことができる。この結果公訴棄却の決定が確定したときは,公訴の取消後犯罪事実につき新たに重要な証拠を発見した場合に限り,同一事件についてさらに公訴を提起することができる(257条,340条)。
なお,民事訴訟法では一般に起訴とはいわず,〈訴えの提起〉というが,講学上起訴という用語が用いられることもある(起訴命令,起訴前の和解など)。
執筆者:長沼 範良
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刑事訴訟法で、検察官が具体的事件について公訴を提起すること。公訴の提起(起訴)は起訴状を提出してこれを行う(刑事訴訟法256条1項)。公訴の提起によって事件は受訴裁判所に係属し、裁判所は、この事件に関し検察官が起訴状に記載した公訴事実について審判すべき権利・義務を有し、検察官、被告人は審判にかかわる権利・義務を有することになる。事件が一定の裁判所に係属したときは、当該事件について重ねて公訴を提起することができない。重ねて起訴がなされた場合には、公訴は棄却される(同法338条3号)。これを、二重起訴禁止の原則という。起訴について公訴不可分の原則の適用があるのである。既判力も当該事件の全部に及び、同一事件についてふたたび審判をすることができない。公訴の提起によって公訴の時効はその進行を停止し、管轄違いまたは公訴棄却の裁判が確定したときからふたたびその進行を始める(同法254条)。
なお、民事訴訟法で、訴えの提起を起訴とよぶことがある。
[内田一郎・田口守一]
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(土井真一 京都大学大学院教授 / 2007年)
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… 捜査された事件について,公訴を提起すべきか否かを決定するのは検察官である。公訴の提起(起訴)については検察官に裁量が認められており(これを起訴便宜主義という),現実にも訴追裁量は広く行使されている(《検察統計年報》によれば,1996年に検察庁で処理された刑法犯の事件について見ると,起訴率20.9%,起訴猶予率75.3%である)。その結果,起訴された事件の99.9%以上が有罪の判決を受けるという事態となっており,起訴されるか否かは実際上非常に大きな意味を持つに至っている。…
…外国の法制では私人訴追の方式によるところもあるが,日本では刑事訴追はすべて公訴であり,国家機関の中でもとくに検察官がこれを行うものとされている(刑事訴訟法247条)。公訴を行う権限を公訴権といい,公訴権を現実に行使することを公訴の提起(起訴)という。有罪の証拠があり,訴訟条件が具備していても,訴追の必要性については,検察官に裁量権が認められている(248条)。…
…刑事訴訟において,起訴があってから裁判が確定するまでの裁判所における手続を,広義において公判という。そこには公開の法廷で行われる手続(公判手続。…
※「起訴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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