大栃山村
おおどちやまむら
[現在地名]浦川原村大栃山
柿野川上流左岸にあり、西は川を挟んで上柿野村・下柿野村、南は山を隔てて釜渕村。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図に「水越与五郎分大士山村 中」とあり、本納七石八斗・縄高一一石二斗八升二合、家三軒・一四人。正保国絵図に高五一石余とある。天和三年郷帳では高四六石九斗余、うち青苧高七升二合・山高四斗二升五合・漆高二斗二升、反別田一町五反余・畑屋敷五町六反余・山林八反余・青苧畑二四歩、漆木三二二本、家数四。明和年間(一七六四―七二)と思われる山里蝋実穂村別帳(国立史料館蔵)では定納の山蝋実三升七合五勺・里蝋穂四二貫目のほか臨時納として里蝋穂一貫四〇〇匁を吉木(現新井市)の蝋点所へ納める。
大栃山村
おおとちやまむら
[現在地名]入広瀬村大栃山
破間川左岸にあり、東の対岸は穴沢村。川は大きく湾曲して、その懐にある。六十里越で会津へ通じる道が通る。正保国絵図に村名がみえ、高一九石余。天和三年郷帳では高四八石五斗余、ほかに同所新田高一八石一斗余がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 