大槻庄(読み)おおつきのしよう

日本歴史地名大系 「大槻庄」の解説

大槻庄
おおつきのしよう

信濃川・五十嵐いからし川の沖積低地、現三条市域のなかくち川・信濃川・五十嵐川の右岸一帯の地域に比定される。「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条に載る乃貢未済庄々注文に「院御領大槻庄」とみえ、後白河院領であった。その後、建長八年(一二五六)九月二九日の崇徳院御影堂領目録(華頂要略)に庄名がみえる。「門葉記」によると、当庄はもと成勝じようしよう寺領であったという。成勝寺は、保延五年(一一三九)一〇月京都白河の地に建立された崇徳天皇の御願寺である。また崇徳院御影堂は治承四年(一一八〇)四月一五日、崇徳院の菩提を弔うために愛宕おたぎ粟田あわた(現京都市)に建立されたもので、このとき目録にみえる大槻庄等が寄進されたと伝える(華頂要略)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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