日本歴史地名大系 「田島村」の解説
田島村
たじまむら
- 山口県:防府市
- 田島村
古く「本朝無題詩」に「周防田島湊」と題する釈蓮禅の作が載り、「漁客舟々分浦釣、偃松処々傍湖横」などとある。
保延三年(一一三七)九月日の待賢門院庁下文案(東大寺図書館所蔵文書)に、藤原実明が
応安四年(一三七一)九月、この地を出発して筑紫に向かった今川了俊はその紀行「道ゆきぶり」に
と記している。また足利義満が
田島村
たじまむら
現田島町の北東部に位置し、阿賀川流域の平坦地に集落と耕地が開ける。東部を
田島村
たじまむら
現甲西町の東部、
慶長六年(一六〇一)の田島郷検地帳(県立図書館蔵)によると麦田七反余・上田一町九反余・中田七町九反余・下田六町九反余・下々田三町八反余、上畑一町二反余・中畑一町八反余・下畑二町余・下々畑一町三反余、田畑計三〇町六反余。
田島村
たのしまむら
千代川右岸に位置する。伯耆街道が村の南を通り、千代川の土手外に対岸の
田島村
たじまむら
- 福島県:白河市
- 田島村
田島村
たしまむら
田島川(現釣川)下流の左岸、
田島村
たしまむら
正長元年(一四二八)一〇月二〇日付の村上備中入道宛備後国守護山名時熙の宛行状(「閥閲録」所収村上太左衛門家文書)に「備後国多嶋地頭職事、為給分所宛行也」とあり、享徳二年(一四五三)八月一二日付の備後国沼隈郡田島先達者宿坊願文(熊野那智大社文書)にも「多嶋中人」とみえる。文安二年(一四四五)には田島船籍の一九艘が兵庫北関(現神戸市)を通過しているが、積荷の大部分は備後塩で、田島産の塩も含まれていた(兵庫北関入船納帳)。
田島村
たしまむら
- 大分県:日田市
- 田島村
田島村
たじまむら
正保国絵図に高二二三石余とみえる。万治三年(一六六〇)の年貢皆済目録(上田島区有文書)には高二二二石二斗余、うち山高二石四斗(免相五ツ取)・地高二一九石八斗八升(免相二ツ六分)とある。
田島村
たしまむら
田島村
たじまむら
- 新潟県:三条市
- 田島村
近世は初め三条藩領で、元和六年(一六二〇)幕府出雲崎代官から三条藩稲垣氏へ引渡した三条御引渡郷村帳(幸田重寛氏文書)では高九三九石八斗。
田島村
たじまむら
- 埼玉県:浦和市
- 田島村
松本新田の北にあり、荒川の沖積平野に立地する。同川を隔てて南西は
田島村
たじまむら
- 栃木県:足利市
- 田島村
田島川流域の沖積地、東西に山丘が連なる谷間に位置し、南は
田島村
たしまむら
鎌倉後半期と考えられる天満宮安楽寺草創日記(太宰府神社文書)に「満願院本尊地蔵菩薩不動、毘沙門アリ堀川院」として「康和三
田島村
たじまむら
- 群馬県:富岡市
- 田島村
田島村
たじまむら
田島村
たじまむら
- 神奈川県:小田原市
- 田島村
西を
田島村
たしまむら
田島村
たじまむら
田島村
たじまむら
田島村
たじまむら
- 埼玉県:朝霞市
- 田島村
田島村
たじまむら
- 栃木県:真岡市
- 田島村
田島村
たしまむら
- 福岡県:甘木市
- 田島村
田島村
たのしまむら
田島村
たしまむら
田島村
たじまむら
田島村
たじまむら
田島村
たじまむら
田島村
たじまむら
田島村
たじまむら
田島村
たじまむら
田島村
たじまむら
田島村
たじまむら
田島村
たじまむら
田島村
たじまむら
田島村
たじまむら
- 静岡県:掛川市
- 田島村
田島村
たじまむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報