大槻礼輔(読み)おおつき れいすけ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大槻礼輔」の解説

大槻礼輔 おおつき-れいすけ

1814-1878 幕末砲術家
文化11年生まれ。大槻平泉次男大槻習斎の弟。陸奥(むつ)仙台藩につかえ,安政4年藩で建造した洋式軍艦開成丸の初航海の際,砲術方主立兼船中取締役をつとめた。明治11年2月15日死去。65歳。名は棐。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む