大槻平泉(読み)おおつき へいせん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大槻平泉」の解説

大槻平泉 おおつき-へいせん

1773-1850 江戸時代後期の儒者
安永2年生まれ。志村東嶼(とうしょ),のち昌平黌(しょうへいこう)で柴野栗山(りつざん)らにまなぶ。文化7年陸奥(むつ)仙台藩につかえ,藩校養賢堂の学頭となる。昌平黌を手本学制をあらためた。嘉永(かえい)3年1月17日死去。78歳。陸奥磐井郡(岩手県)出身。名は清準。字(あざな)は子縄。通称民治。著作に「鯨海游志」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む