日本歴史地名大系 「大江公仲邸跡」の解説 大江公仲邸跡おおえのきんなかていあと 京都市:中京区壬生村大江公仲邸跡散位従四位下大江公仲が嘉保二年(一〇九五)に残した財産処分状(大江仲子解文)に、次のような三ヵ所の宅地を記している。<資料は省略されています>このうち、本宅地と考えられる坊城地一町は「左京四条一坊二町」にあり、これは六角小路南・四条坊門小路北・坊城小路西・朱雀大路東の地にあたり、現壬生朱雀(みぶしゆじやく)町の東南地域に比定できる。この坊城地は「故土佐前司忠季入道」と相博伝領したもので、八戸主ずつ四区画に分れていた。寝屋・廊・雑舎などをもつ丑寅角が生活家宅であったと考えられ、辰巳角には車宿と書倉、未申角は堂敷地、戌亥角は倉代が配置され、中級貴族の生活の一面を知ることができる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by