大沢水村(読み)おおそうずむら

日本歴史地名大系 「大沢水村」の解説

大沢水村
おおそうずむら

[現在地名]中央町大沢水

東は堅志田かたしだ村、南は中小路なかしようじ村と接し、西は巣林すばやし村・安見やすみ(現豊野村)、北は上益城郡船津ふなつ(現甲佐町)と小山岳を境に接する。北北西にある西山にしやま峠は鰐瀬わにぜ(現城南町)・安見村などへ至る交通路上にある。全体として起伏のある地勢だが、低地に属する。字陣の平じんのひらでは奈良時代から平安時代にかけての窯跡があり、鰐瀬周辺の古代益城国衙・寺院などへ供給したと推定される。また「国誌」「一統志」にみえる深谷山正法しようほう寺の跡地では布目瓦が発掘されている。一四世紀初頭開基の禅寺で、一時衰微したが戦国期に堅志田城城主西惟安が再興したと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む