大泉院跡(読み)だいせんいんあと

日本歴史地名大系 「大泉院跡」の解説

大泉院跡
だいせんいんあと

[現在地名]吉川町川藤

行光山大泉院と号し、旧来は本山派修験で、幸手さつて不動院(現春日部市)配下であった。本尊は不動明王。修験川藤大泉院由緒書上(埼玉叢書)によれば、暦応三年(一三四〇)秀仙が赤岩あかいわ郷に一宇を建立したことに始まり、慶長年中(一五九六―一六一五)秀延の代に川藤かわふじ榎戸えのきど(「風土記稿」にみえる小名榎戸)に移ったと伝える。天正一六年(一五八八)二月三日下総水海みずうみ(現城県総和町)の簗田助縄が赤岩新宿に対する制札を出したとき大泉坊に諸役不入を認め(「簗田家制札」渡辺文書)、また河藤郷内を妙蔵坊・円覚坊に安堵し、大泉坊を大峯代官に任じている(二月三日「簗田助縄判物」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android