大湫村(読み)おおくてむら

日本歴史地名大系 「大湫村」の解説

大湫村
おおくてむら

[現在地名]瑞浪市大湫町

北野きたの村の東、土岐川北岸の東濃高原東部平坦地にある。東に権現ごんげん山、南に小牧こまき(五四五メートル)がある。中山道が東西に通り、慶長九年(一六〇四)以降同街道の宿となる。近世初頭保々氏により開かれたとされる(保々氏古留記)。大久手とも記される。慶長六年の木曾衆知行目録写(徳川林政史研究所蔵)に「大くて村」一〇九石余がみえ、木曾組衆頭に宛行われた。正保郷帳では田九一石余・畑一八石余、雑木山・柴山がある。正保(一六四四―四八)以後枝郷神田かんだ村が分村。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む