日本歴史地名大系 「大穴村」の解説 大穴村おおあなむら 千葉県:船橋市大穴村[現在地名]船橋市大穴南(おおあなみなみ)一―五丁目・大穴北(おおあなきた)一―八丁目・大穴町・松が丘(まつがおか)一丁目・高根台(たかねだい)三丁目・南三咲(みなみみさき)三丁目・三咲(みさき)六―八丁目古和釜(こわがま)村の北西に位置し、同村との間に流れる木戸(きど)川に沿って谷津が広がる。北部の三咲川、中央部の大穴川はいずれも木戸川に合流する。慶長一九年(一六一四)の東金御成街道覚帳に大穴古和釜村と二村が併記され、高二〇〇石で旗本松平領、道普請では二村で一五町を負担している。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分に村名がみえ、高一〇三石余で、旗本松平・山名二氏の相給。旧高旧領取調帳では松平領一〇三石余・幕府領三〇石余。 大穴村おおあなむら 群馬県:利根郡水上町大穴村[現在地名]水上町大穴鹿野沢(かのさわ)村の北東に位置する利根川沿いの村で、清水(しみず)峠越往還が通る。寛文郷帳では田方二石余・畑方五九石余、沼田藩領。寛文三年(一六六三)真田領村高書上控では高二七八石余。宝永元年(一七〇四)沼田領村々石高書上では高三六石余、反別は田方五反余・畑方一五町六反余。江戸後期の御改革組合村高帳では家数二〇、幕府領。文政七年(一八二四)の風社建立入用覚帳(幸知区有文書)には、湯檜曾(ゆびそ)・幸知(こうち)・大穴・坪野(つぼの)の四ヵ村の名がみえ、当村の家数は一三。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by