大谷船山(読み)オオヤ センザン

20世紀日本人名事典 「大谷船山」の解説

大谷 船山
オオヤ センザン

明治・大正期の俳人,化学研究家



生年
嘉永6年8月15日(1853年)

没年
大正12(1923)年4月2日

出生地
伯耆国米子灘町(鳥取県)

本名
大谷 績

経歴
産科医・健斎の長男に生まれる。樋野含斎・高階隼太らに儒学を学ぶ。明治8年東京に遊学、のち滋賀県巡回訓導となる。17年郷里の鳥取に戻り松江に三州学舎(修道館の前身)を設立、また22〜34年裁判所に奉職した。のち化学研究に没頭し粉末樟脳・火止石油・漁網染料・防水剤などの化学製品の製造に成功した。傍ら、新聞「日本」や俳誌ホトトギス」に投句し、その句は「新俳句」「春夏秋冬」「続春夏秋冬」に収載された。著書に「船山句集」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大谷船山」の解説

大谷船山 おおや-せんざん

1853-1923 明治-大正時代の俳人。
嘉永(かえい)6年8月15日生まれ。樋野含斎(ひの-がんさい)らに儒学をまなぶ。明治17年松江に三州学舎(修道館の前身)を設立。新聞「日本」や俳誌「ホトトギス」に投句し,その句は「新俳句」「春夏秋冬」に収載された。のち漁網染料などの化学製品をつくった。大正12年4月2日死去。71歳。伯耆(ほうき)(鳥取県)出身。名は績。著作に「船山句集」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android