大道寺跡(読み)だいどうじあと

日本歴史地名大系 「大道寺跡」の解説

大道寺跡
だいどうじあと

[現在地名]山口市金古曾町

金古曾かなこぞ町北側の一画、ザビエル公園付近がその跡地とされるキリスト教教会

耶蘇会士フランシスコ・ザビエルが山口を訪れたのは天文一九年(一五五〇)一一月のことであるが、約一ヵ月の滞在で一度山口を離れ、再び翌二〇年の春大内義隆に謁し、布教の許可を得た。同年九月、義隆の自刃後、山口に入った大内義長も大友宗麟の弟ということもあり、キリスト教には好意的であったらしい。同二一年八月二八日付で大内義長がキリスト教宣教師トルレスに与えた裁許状が、ポルトガル外務省所蔵文書として残る。

<資料は省略されています>

この時、当時廃寺となっていた大道寺が、キリスト教布教の拠点として与えられたわけである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む