日本歴史地名大系 「大長谷村」の解説 大長谷村おおながたにむら 新潟県:北蒲原郡黒川村大長谷村[現在地名]黒川村大長谷村央で霧出(きりで)川(現鍬江沢川)と黒俣(くろまた)川が合流して北へ流れる。東は尾根を境に幾地(いくじ)村(現岩船郡関川村)、西は荒沢(あらさわ)村、北は小長谷(こながたに)村に接する。集落は山崎(やまざき)・向(むかい)・中山(なかやま)の三地区からなる。元亨元年(一三二一)七月二一日の佐々木(加地)有綱打渡状(三浦和田氏文書)に奥山(おくやま)庄草水(くそうず)条内として「長谷」とみえ、和田又四郎(黒川章連)に打渡すとある。翌二年七月七日の関東下知状(同文書)によれば長谷など草水条四ヵ所は章連が父兼連から譲られた所領で、元応二年(一三二〇)八月伯母の平氏(河村太郎次郎入道浄阿妻)が多勢を率いて田畠の作毛を刈取る狼藉を行ったとして訴え出た。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by