奥山には豊富に草・萱が茂っていた。奥山の半分以上を所有していた勝山町は、近在の村々に山札を発売して草・萱の刈取りを許し、山手役にあてていた。山札は貞享二年から延享四年(一七四七)にかけての願書留(室屋文書)に収める元禄一七年(一七〇四)の郡村の「相渡申証文之事」によると、一年間通用の馬別・人別札であった。牛・馬札は一匹につき銀八匁、歩行荷札は一人につき四匁、ほかに谷札・尾札・半季札など場所や期間を限定する札もあった。
文政五年(一八二二)の宮津藩領百姓一揆の策源地とされて多くの犠牲者を出した。財政困窮の宮津藩は年貢銀納分の先納制をしいていたが、改めて追先納と称して翌年分の年貢の先取りを始め、それでも足りないとして一人頭三文の日銭を課した。この人頭税の取立てに不平が募るや二文にし、その代りに従来の大庄屋・出役庄屋を増員し、そのうえに在方・町方の身元の者から手組と称する取立役を編成し、最高責任者として総禄を任命して徴収に万全を期した。
ところが徴収した日銭は一〇〇文ごとに八文が口銭として役得になっていることが判明。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…当時一山は寺中34ヵ寺によって運営され,末寺17,門徒8,末寺の門徒2を従える大寺であった。 寺内町の仲見世は江戸きっての盛り場であり,網野宥俊《浅草寺史談抄》などによれば境内の奥山には芝居・見世物小屋が並んで,松井源水の曲ごま,深井志道軒の講釈,軽業,居合抜,からくり,女相撲,歌祭文など庶民的芸能が技を競いあった。また三社権現(現,浅草神社。…
…山は人間に対して,正と負との両面の働きかけをすることにより,恩頼と畏怖の観念を同時に併存させた神秘的な存在であった。 山の領域空間は,人里の周囲の里山,そこから深く入った奥山,さらに険しい岳(たけ)とに分類することができる。里山では焼畑や常畑耕作を行い,草刈りや薪炭の製産を行って,日常的に身近な空間であるが,奥山は深い森林の中で猟師,木地屋(きじや),たたら師などの漂泊的な生産者の活動の場であった。…
※「奥山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新