奥山には豊富に草・萱が茂っていた。奥山の半分以上を所有していた勝山町は、近在の村々に山札を発売して草・萱の刈取りを許し、山手役にあてていた。山札は貞享二年から延享四年(一七四七)にかけての願書留(室屋文書)に収める元禄一七年(一七〇四)の郡村の「相渡申証文之事」によると、一年間通用の馬別・人別札であった。牛・馬札は一匹につき銀八匁、歩行荷札は一人につき四匁、ほかに谷札・尾札・半季札など場所や期間を限定する札もあった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…当時一山は寺中34ヵ寺によって運営され,末寺17,門徒8,末寺の門徒2を従える大寺であった。 寺内町の仲見世は江戸きっての盛り場であり,網野宥俊《浅草寺史談抄》などによれば境内の奥山には芝居・見世物小屋が並んで,松井源水の曲ごま,深井志道軒の講釈,軽業,居合抜,からくり,女相撲,歌祭文など庶民的芸能が技を競いあった。また三社権現(現,浅草神社。…
…山は人間に対して,正と負との両面の働きかけをすることにより,恩頼と畏怖の観念を同時に併存させた神秘的な存在であった。 山の領域空間は,人里の周囲の里山,そこから深く入った奥山,さらに険しい岳(たけ)とに分類することができる。里山では焼畑や常畑耕作を行い,草刈りや薪炭の製産を行って,日常的に身近な空間であるが,奥山は深い森林の中で猟師,木地屋(きじや),たたら師などの漂泊的な生産者の活動の場であった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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