奥山(読み)おくやま

精選版 日本国語大辞典 「奥山」の意味・読み・例文・類語

おく‐やま【奥山】

[1] 〘名〙 人里離れた奥深い山。山の奥深いところ。深山。みやま
※万葉(8C後)二〇・四四七六「於久夜麻(オクヤマ)の樒(しきみ)が花の名のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ」
※古今(905‐914)秋上・二一五「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき〈よみ人しらず〉」
[2]
[一] 静岡県浜松市引佐(いなさ)町の地区。臨済宗方広寺派の大本山、方広寺の門前集落。
[二] 東京都台東区浅草二丁目、金龍山浅草寺の裏側にあたる地区の俗称。花屋敷などの見世物小屋の多い娯楽街、歓楽街を称した。

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デジタル大辞泉 「奥山」の意味・読み・例文・類語

おく‐やま【奥山】

人里を遠く離れた山の中。山の奥深い所。深山。
[類語]深山しんざん深山みやま全山遠山端山はやま外山

おくやま【奥山】[地名]

東京都の浅草にある浅草せんそうの裏側一帯の通称。

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日本歴史地名大系 「奥山」の解説

奥山
おくやま

法恩寺ほうおんじ山西斜面から麓の村々にまで及ぶ広い山地をいい、暮見くれみ川上流の大暮見谷、浄土寺じようどじ川上流のから谷との両谷に挟まれた郡原こおりばら上原うわばらを中心とする。戦国期、平泉へいせん寺隆盛の頃は同寺の支配下にあったと考えられるが、近世に入り、勝山町のほか、山麓村々の持山地となった。貞享二年(一六八五)の奥山絵図(勝山市教育委員会蔵)によれば、奥山に関する山手役として、勝山町四八・七石、こおり村七・五石、五本寺ごほんじ村一・三石、寺尾てらお村九石、浄土寺村一二・三石、暮見村三・二石、猿倉さるくら村〇・四石、滝波たきなみ村八石が記録され、この村々が利用権をもっていた。

奥山には豊富に草・萱が茂っていた。奥山の半分以上を所有していた勝山町は、近在の村々に山札を発売して草・萱の刈取りを許し、山手役にあてていた。山札は貞享二年から延享四年(一七四七)にかけての願書留(室屋文書)に収める元禄一七年(一七〇四)の郡村の「相渡申証文之事」によると、一年間通用の馬別・人別札であった。牛・馬札は一匹につき銀八匁、歩行荷札は一人につき四匁、ほかに谷札・尾札・半季札など場所や期間を限定する札もあった。

奥山
おくやま

[現在地名]野田川町字石川

石川いしかわ村の東部枝郷。石川村より奥山・地蔵じぞう峠を越して宮津に道が通じている。

文政五年(一八二二)宮津藩領百姓一揆の策源地とされて多くの犠牲者を出した。財政困窮の宮津藩は年貢銀納分の先納制をしいていたが、改めて追先納と称して翌年分の年貢の先取りを始め、それでも足りないとして一人頭三文の日銭を課した。この人頭税の取立てに不平が募るや二文にし、その代りに従来の大庄屋・出役庄屋を増員し、そのうえに在方・町方の身元の者から手組と称する取立役を編成し、最高責任者として総禄を任命して徴収に万全を期した。

ところが徴収した日銭は一〇〇文ごとに八文が口銭として役得になっていることが判明。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「奥山」の意味・わかりやすい解説

奥山
おくやま

静岡県西部,浜松市南西部の旧村域。 1955年引佐町と合体し,2005年浜松市に編入。 2007年政令指定都市化に伴い北区の一部となった。元中1 (1384) 年開山の方広寺には国指定重要文化財の七尊菩薩堂がある。その鎮守の半僧坊大権現は俗に奥山半僧坊と呼ばれ,多くの信仰を集め,奥山はその門前町として栄えた。奥山高原,陣座峠 (290m) を経て,愛知県新城市に通じる。

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