大顔明神社(読み)おおかおみようじんしや

日本歴史地名大系 「大顔明神社」の解説

大顔明神社
おおかおみようじんしや

[現在地名]吉備町奥

おきの南西丘陵に鎮座。祭神大顔明神・奥津彦おきつひこ神・奥津姫おきつひめ神。旧村社。創祀時期は不明だが、寛文年間(一六六一―七三)社殿を修理したとき発見された棟札の書写によると、永仁五年(一二九七)藤並ふじなみ荘地頭源尚・惣追捕使藤原知宗・公文法橋咸らが大檀那となって社殿が造立されている(吉備町誌)。また近世初期に書かれた大顔大明神縁起書(吉備町誌)には「大明神は紀伊国在田郡藤並庄奥村勢の里林清之大夫俊久藤原氏也、藤並十九人の年寄の壱人たり」とあり、俊久は藤並荘をめぐる争いで北条貞時の怒りを買い、首をはねられたが、のち一族がその霊を祀るために当社を建立したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報