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大饗正虎 おおあえ まさとら

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大饗正虎 おおあえ-まさとら

1520-1596 戦国-織豊時代の武士,書家。
永正(えいしょう)17年生まれ。足利義輝(よしてる)につかえ,のち織田信長,豊臣秀吉右筆をつとめた。書は飯尾(いのお)常房にまなぶ。のち楠姓を名のった。文禄(ぶんろく)5年1月11日死去。77歳。備前(岡山県)出身。初名は甚四郎。通称は長左衛門尉。号は長諳(ちょうあん)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

大饗正虎

没年:慶長1.1.11(1596.2.9)
生年:永正17(1520)
安土桃山時代の書家。楠長諳と号す。楠木成隆の子。楠木正儀の孫正盛の末裔と称す。天文5(1536)年将軍足利義晴に出仕し正虎と名乗る。正親町天皇より楠木一族の朝敵の勅免を受け,従四位上,河内守に叙任(『楠氏系図』)。のち織田信長の側近。右筆となり,本能寺の変後は羽柴(豊臣)秀吉の右筆となる。書は世尊寺流を伝え,飯尾常房の遺風を学び,当代の模範とされる。天正16(1588)年,後陽成天皇の聚楽第行幸に際し,秀吉の御伽衆大村由己が著した『聚楽第行幸記』を清書して天皇に献上した。秀吉の薩摩攻めの記録『九州陣道の記』は正虎の著作。晩年は出家して京都六条大輪坊に住す。

(今谷明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の大饗正虎の言及

【楠木氏】より

…一族に和田,神宮寺,橋本ら諸氏があり,所領は河内,和泉に分布し,建武新政期に正成は恩賞として常陸国久慈西郡瓜連,土佐国安芸荘を得たことがある。南北朝合一後,楠木氏は時代の表面からほとんど消え,後南朝の動きに関連してときに姿を現す程度だったが,正儀の子孫大饗正虎(おおあえまさとら)が1536年(天文5)将軍足利義輝に仕え,楠長諳(ちようあん)と号して織田信長,豊臣秀吉の右筆となり,楠木氏はその立場を多少回復した。【網野 善彦】。…

※「大饗正虎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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