朝日日本歴史人物事典 「大饗正虎」の解説
大饗正虎
生年:永正17(1520)
安土桃山時代の書家。楠長諳と号す。楠木成隆の子。楠木正儀の孫正盛の末裔と称す。天文5(1536)年将軍足利義晴に出仕し正虎と名乗る。正親町天皇より楠木一族の朝敵の勅免を受け,従四位上,河内守に叙任(『楠氏系図』)。のち織田信長の側近。右筆となり,本能寺の変後は羽柴(豊臣)秀吉の右筆となる。書は世尊寺流を伝え,飯尾常房の遺風を学び,当代の模範とされる。天正16(1588)年,後陽成天皇の聚楽第行幸に際し,秀吉の御伽衆大村由己が著した『聚楽第行幸記』を清書して天皇に献上した。秀吉の薩摩攻めの記録『九州陣道の記』は正虎の著作。晩年は出家して京都六条大輪坊に住す。
(今谷明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報