大鹿城跡(読み)おおしかじようあと

日本歴史地名大系 「大鹿城跡」の解説

大鹿城跡
おおしかじようあと

[現在地名]取手市白山六丁目

花輪台はなわだい(別名大鹿原)の小丘陵上に位置。「北相馬郡志」には「大鹿馬場と称する所にあり、城山と云ふ、地形東西に狭く南北に長し、東北は空壕を環らし三面懸崖たり、西南尤も高く周囲に土塁を以てす」とあるが、土地開発によって現在は平地となっている。

平将門の弟将頼二九代の後裔織部時平が築いたといわれ、「常総軍記」などによれば時平の後裔大鹿太郎左衛門時茂は近隣七郷の地頭として威を振るっていたが、永禄四年(一五六一)八月に小文間おもんま城主一色宮内政良によって城を攻め落され、いな村の方に退いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)一定の主義・主張がなく、安易に他の説に賛成すること。「多数派に付和雷同する」[補説]「不和雷同」と書くのは誤り。[類語]矮人わいじんの観場かんじょう・同意・賛同・支持・賛成・雷同・便乗・...

付和雷同の用語解説を読む