大鼓村
でーくむら
太平洋に面していた現在の東村宮城の前身の村。「球陽」尚敬王二四年(一七三六)条によると、法司蔡温が諸郡の山林を巡見した際、国頭間切安波村(現国頭村)と久志間切川田村の距離が七里に及び、往来に不便をきたしているので、同年両村の間に大鼓村を立て、久志間切の所属とした。その位置は「沖縄県国頭郡志」によると川田村の一部で、南は太平洋に面して数十メートルの段丘端にあり、現在の字宮城のうちの大工泊(デークドゥマイ)にあたるという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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