天台声明(読み)てんだいしょうみょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天台声明」の意味・わかりやすい解説

天台声明
てんだいしょうみょう

日本の声明一派天台宗の宗祖最澄より3代目の座主であった円仁 (えんにん) を始祖とする。 10年に及ぶ中国留学ののち帰国した円仁は,唐代の仏教儀式を比叡山延暦寺に伝えた。その後 12世紀初頭,良忍大原に隠棲して以来,この地の来迎院が天台声明の根本道場となり,大原流と呼ばれるようになった。なお天台声明にはこの大原流のほか,天台宗門徒の分裂により園城寺 (俗称三井寺) に伝承される寺門 (じもん) 流がある。また,天台宗から分派独立した西教寺 (天台真盛宗) ,四天王寺 (和宗) ,浅草寺 (聖観音宗) などの声明があるが,これらはおおむね延暦寺 (大原流) の伝統によっている。

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世界大百科事典(旧版)内の天台声明の言及

【魚山声明六巻帖】より

…天台声明の曲集。《魚山顕密声明集略本》《魚山集略(本)》《魚山六巻帖》《六巻帖》《声明集》などの名称を持つ。…

【声明】より

… 平安朝には空海と最澄が804年(延暦23)に入唐し,真言,天台両宗をそれぞれ伝え,声明の新たな発展期に入る。空海は梵語讃などを数多く請来し真言声明の祖とされるが,天台声明では838年(承和5)に入唐した円仁を事実上の祖とし,両声明はそれぞれ京都の東寺,延暦寺を中心として発展する。真言声明は寛朝(かんちよう)により大成するが,その後分派対立し,平安末には4流派に整理統合され,その中の1流派が南山進(なんざんしん)流として高野山を中心に今日まで伝承されている。…

※「天台声明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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