ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天台声明」の意味・わかりやすい解説
天台声明
てんだいしょうみょう
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…天台声明の曲集。《魚山顕密声明集略本》《魚山集略(本)》《魚山六巻帖》《六巻帖》《声明集》などの名称を持つ。…
… 平安朝には空海と最澄が804年(延暦23)に入唐し,真言,天台両宗をそれぞれ伝え,声明の新たな発展期に入る。空海は梵語讃などを数多く請来し真言声明の祖とされるが,天台声明では838年(承和5)に入唐した円仁を事実上の祖とし,両声明はそれぞれ京都の東寺,延暦寺を中心として発展する。真言声明は寛朝(かんちよう)により大成するが,その後分派対立し,平安末には4流派に整理統合され,その中の1流派が南山進(なんざんしん)流として高野山を中心に今日まで伝承されている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」