寺伝によれば仁寿年間(八五一―八五四)円仁が天台声明の道場として中国天台山の堂塔を模して創建といい、その後一時期衰退したが天仁二年(一一〇九)融通念仏の開祖良忍が魚山の号とともに再興、来迎院と称するようになったと伝える。「吉記」承安四年(一一七四)二月一六日条には「次向大原、(中略)次参来迎院、故良仁上人草創、本覚房上人当時止住之所也、次謁上人、尤可奉恭敬」とみえ、来迎院に関する早い記事である。
良忍は一二歳で比叡山に登り、嘉保元年(一〇九四)
寺伝によると至徳二年(一三八五)の創建で、初めは真言宗に属したがのち改めたという。「新編常陸国誌」の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市左京区大原来迎院町にある天台宗の寺。魚山(ぎょさん)と号する。本尊は薬師如来(やくしにょらい)・釈迦(しゃか)如来・阿弥陀(あみだ)如来の三尊仏。平安初期に慈覚大師円仁(えんにん)が天台声明(しょうみょう)の道場として開山したと伝える。その後1109年(天仁2)聖応(しょうおう)大師良忍(りょうにん)が来迎院を建立した。円仁の伝えた声明は魚山流声明として集大成され、天台声明の主流となった。寺宝の「伝教大師度縁案並僧綱牒(ならびにそうごうちょう)」1巻は最澄に関する根本史料で、『日本霊異記(りょういき)』2帖(じょう)(中・下巻)とともに国宝に指定されている。また本尊の三尊仏、来迎院如来蔵聖教文書類、石造三重塔は国重要文化財に指定されている。
[田村晃祐]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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