朝日日本歴史人物事典 「天岸慧広」の解説
天岸慧広
生年:文永10(1273)
鎌倉後期の臨済宗の僧。武蔵(埼玉県)生まれ。俗姓は伴氏。13歳で建長寺の無学祖元に投じた。のち東大寺の戒壇院で受戒し,各地を歴訪したが,下野(栃木県)雲巌寺の無学の弟子高峰顕日に参じ法を嗣いだ。次いで円覚寺に移った高峰に同行してその首座となる。元応2(1320)年に物外可什らと共に元に渡って,幻住派の中峰明本 に参じたのち,各師を訪ね57歳のとき帰国した。鎌倉浄妙寺などに住したあと休耕庵に退居。また上杉重兼は報国寺を開いて天岸を第1世とした。諡号は仏乗禅師。著書に偈讃を集めた『東帰集』(『五山文学全集』1巻所収)がある。<参考文献>卍元師蛮『本朝高僧伝』25巻
(藤田正浩)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報