天岸慧広(読み)てんがん・えこう

朝日日本歴史人物事典 「天岸慧広」の解説

天岸慧広

没年:建武2.3.8(1335.4.2)
生年:文永10(1273)
鎌倉後期の臨済宗の僧。武蔵(埼玉県)生まれ。俗姓は伴氏。13歳で建長寺の無学祖元に投じた。のち東大寺の戒壇院で受戒し,各地を歴訪したが,下野(栃木県)雲巌寺の無学の弟子高峰顕日に参じ法を嗣いだ。次いで円覚寺に移った高峰に同行してその首座となる。元応2(1320)年に物外可什らと共に元に渡って,幻住派の中峰明本 に参じたのち,各師を訪ね57歳のとき帰国した。鎌倉浄妙寺などに住したあと休耕庵に退居。また上杉重兼は報国寺を開いて天岸を第1世とした。諡号は仏乗禅師。著書に偈讃を集めた『東帰集』(『五山文学全集』1巻所収)がある。<参考文献>卍元師蛮本朝高僧伝』25巻

(藤田正浩)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「天岸慧広」の解説

天岸慧広 てんがん-えこう

1273-1335 鎌倉時代の僧。
文永10年生まれ。臨済(りんざい)宗。無学祖元に師事。高峰顕日の法をつぐ。元応2年物外可什(もつがい-かじゅう)らと元(げん)(中国)にわたり,古林清茂(くりん-せいむ)らにまなぶ。元徳元年明極楚俊(みんき-そしゅん),竺仙梵僊(じくせん-ぼんせん),可什と帰国。鎌倉に報国寺をひらいた。建武(けんむ)2年3月8日死去。63歳。武蔵(むさし)比企郡(埼玉県)出身。俗姓は伴。諡号(しごう)は仏乗禅師。著作に「東帰集」など。

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