日本大百科全書(ニッポニカ) 「天愚孔平」の意味・わかりやすい解説 天愚孔平てんぐこうへい(?―1817) 江戸時代後期の奇人。本名は萩野信敏(はぎののぶとし)、通称喜内(きない)、号は鳩谷(きゅうこく)。松江藩江戸詰の300石取りの武士であったが、異風奇行を好み、高慢なので世人から天狗(てんぐ)と異名され、自分も天愚斎と名のり、さらに孔子の子孫と自称し、名を孔平にした。参拝者が寺社に貼(は)るいわゆる千社札は彼の考案といわれ、それを継竿(つぎざお)の先につけた刷毛(はけ)で天井など高い所に貼り付ける風習も彼のくふうとされている。文化(ぶんか)14年没。墓は東京・駒込(こまごめ)の泰宗寺にある。[山内まみ] 天愚孔平 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例