天童村(読み)てんどうむら

日本歴史地名大系 「天童村」の解説

天童村
てんどうむら

[現在地名]天童市天童・東本町ひがしほんちよう田鶴町たづるちよう二丁目・仲町なかまち一丁目・五日町いつかまち一―二丁目・一日町ひといちまち一―四丁目・北目きため一―四丁目・東芳賀ひがしはが二丁目・老野森おいのもり一丁目・泉町いずみちよう一丁目・柏木町かしわぎちよう一丁目・小関こせき一丁目

舞鶴まいづる山の西麓にあり、南東北目村、南は芳賀村、北は倉津くらづ川を隔てて老野森村。南北に走る羽州街道に沿い、南から北に一日町・五日町・三日みつか町・町と連なり、東裏に小路こうじ町、西裏になか町がある。北畠顕家の孫北畠天童丸が舞鶴山に拠ったという伝承がある。明応五年(一四九六)五月五日の松蔵寺幹縁疏(広谷常治氏所蔵文書)のうちに「天童宝樹山仏向精舎」とみえる。

寛永一三年(一六三六)の保科氏領知目録に天童城廻とあり、高四千七二六石余。正保郷帳には天童村とあり、田方三千六四三石余・畑方一千八三石余・寺社領一八三石余。元禄一〇年(一六九七)東根領覚書(横尾文書)によると四千七七四石余とあり、六ヵ町は各庄屋をたてて分割されている。宝暦一〇年(一七六〇)天童宿の明細帳(山口文書)によると反別田一七一町五反余・畑一九四町三反余、六ヵ町合計の家数四一五(本百姓二二九・名子水呑一八〇・寺四・山伏二)・人数二千七二(男一千一一五・女九五七)、馬三六・牛一。町民のなかには医師三・大工一・桶屋二・紺屋三がおり、酒造高は一八人分を合せると一千二五八石余に及び、旅籠屋が六、七軒ある。町名にみられるように一・三・五・九(田町)の日、月に一二日の日市が行われ、紅花の開花期には五日町に紅花市が開かれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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