山形県中東部の市。1958年(昭和33)市制施行。1962年豊栄(とよさか)村を編入。山形盆地の中東部に位置し、東部は奥羽山脈、西部は乱(みだれ)川と立谷(たちや)川の両扇状地が占める。扇端部は律令制の時代には芳賀(はが)郷、平安時代に成生荘(なりうのしょう)として開かれ、南北朝時代に北畠顕家(きたばたけあきいえ)の孫天童丸がこの地に天童城を築城し、天童氏を称したのが地名のおこりという。その後天童氏の居城であったが、1584年(天正12)最上(もがみ)氏に攻略され、落城した。近世は山形藩領、幕府領などとなり、1830年(天保1)天童村などを領していた高畠藩織田氏が天童村に陣屋を移し(天童藩)、明治に至った。天童は江戸時代は羽州街道の宿駅でもあった。明治になって温泉を掘り当て、天童温泉として現在ではかみのやま温泉(上山市)と双璧(そうへき)をなす温泉都市となっている。特産の将棋駒(しょうぎこま)は幕末に天童藩士の手内職から発展したもので、国の伝統的工芸品にも指定され、現在では全国の95%を生産する。将棋資料館もつくられている。扇状地ではサクランボ、ブドウ、リンゴなどの果樹栽培が盛ん。JR奥羽本線(山形新幹線)、国道13号、48号が通じ、東北中央自動車道の天童インターチェンジが設置されている。近年は南接する山形市のベッドタウン化が進み、家具や電気機器などの工場も進出している。東部の天童高原は県立自然公園となっていて、キャンプ場やスキー場などがある。1990年(平成2)市美術館が開館した。城山の天童公園(舞鶴山)の桜まつりでは人間将棋が行われる。最上三十三観音第一番札所の若松寺の観音堂と安置する金銅観音像懸仏は国の重要文化財。6~7世紀の集落跡が発見された西沼田遺跡は国の史跡。面積113.01平方キロメートル、人口6万2140(2020)。
[中川 重]
『『天童市史』全5巻(1978~1992・天童市)』
山形県中東部の市。1958年市制。人口6万2214(2010)。山形盆地の中央部東寄りに位置し,市域の東半は奥羽山脈の山地,西半は乱(みだれ)川と立谷川の扇状地からなり,西端を最上川が北流する。扇状地の扇端部は古くは成生(なりう)荘として開かれた。南北朝時代に北畠天童丸が舞鶴山に居城したことが地名の由来という。城下町は当初,城の東側にあったが,近世に西側に整備された羽州街道に沿って街村状の宿場町が発達し,1830年(天保1)織田氏(2万石)が街村の西に館を構えた。中心街の東にある天童温泉(セッコウ泉,66~70℃)は1886年灌漑用の井戸掘削の際に湧出したもので,明治末期には温泉街が形成され,現在では県内有数の温泉地となっている。特産品の将棋駒は幕末に天童藩の下級武士の手内職から発展したもので,全国の約95%を生産している。春の桜祭には人間将棋が行われ観光客の人気を集めている。乱川・立谷川両扇状地ではサクランボ,ブドウ,リンゴなどの果樹生産が盛ん。JR奥羽本線,山形新幹線,国道13号,48号線が通じ,東北中央自動車道のインターチェンジもあって南接する山形市のベッドタウン的性格が強くなっている。また家具や電気機器などの工場も進出している。市東部にある若松寺観音堂(重要文化財)は最上三十三観音1番札所。
執筆者:中川 重
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…扇状地の扇端部は古くは成生(なりう)荘として開かれた。南北朝時代に北畠天童丸が舞鶴山に居城したことが地名の由来という。城下町は当初,城の東側にあったが,近世に西側に整備された羽州街道に沿って街村状の宿場町が発達し,1830年(天保1)織田氏(2万石)が街村の西に館を構えた。…
…したがって疾走飛行自在であり,飛鉢法によって山上に食物や水をもたらすことができると信じられた。平安時代には天狗は天童や金剛童子と呼ばれていて,童子形で表現されたのはそのためである。それは豊後国東(くにさき)半島の屋山(ややま)長安寺の太郎天像(平安時代)や《信貴山縁起絵巻》に見られ,《古事談》は平安時代の山伏浄蔵の話として,唐装束の天童の飛鉢を語っている。…
※「天童」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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