天野郷
あまのごう
高野山領六箇七郷の一で、現上天野・下天野・神田をほぼその領域とし、上天野には丹生都比売神社(天野社)が鎮座。天野社を信仰上の中核としていたと考えられる六箇七郷のなかで、最も中心的な郷であった。
承安三年(一一七三)一〇月五日の僧尊慶田地売券(武本氏蔵)に「天野郷字上大門」、建長三年(一二五一)一〇月一九日の能栄田地売券(正智院文書)に「天野郷内字名五反之下」とみえる。延元二年(一三三七)五月二五日の西道垣内畠売渡状(飛見家文書)に「六ケ郷内上天野字北村」とあり、天野郷は当時すでに上下に分れていた。
天野郷
あまのごう
「和名抄」諸本にみえる郷名。訓を欠くが、アマノであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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