太右衛門新田
たえもんしんでん
[現在地名]田上町川船河
丘陵に挟まれた沢沿いを開発した新田村。北は河舟川村、南は上条村(現加茂市)。天保七年(一八三六)の開発議定証文(小林藤六氏蔵)によれば、上条村の遠藤太右衛門が同村北端の馬取沢一帯の開発を願出、私費で沢続き一帯を開発した。同九年、幕府出雲崎代官青山九八郎によって検地が行われた(遠藤悦男氏蔵箱書)。
太右衛門新田
たうえもんしんでん
[現在地名]新潟市太右エ門新田
親松新田の南、信濃川右岸の堤防上に位置し、同新田との間には現在親松排水路がある。寛永一一年(一六三四)の開発とされ(中蒲原郡誌)、同一六年の横越島絵図(青木正昭氏蔵)には「多右衛門尉新田」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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