旧中蒲原郡地区(読み)きゆうなかかんばらぐんちく

日本歴史地名大系 「旧中蒲原郡地区」の解説

旧中蒲原郡地区
きゆうなかかんばらぐんちく

新潟市域のほぼ中央部に位置し、東は阿賀野川、西は信濃川。この両川を南で結ぶのが小阿賀野こあがの川、北で結ぶのが通船つうせん川で、当地区はこの四川に囲まれた亀田かめだ郷の大半と、通船川北方の日本海に臨む砂丘地帯を含む。亀田郷亀田水郷ともいわれ、近世横越よこごし島とよばれた。砂丘地をヤマというほどの低湿地帯で、村の成立は近世初期、とくに寛永年間(一六二四―四四)に集中し、慶長三年(一五九八)新発田藩溝口氏入封時に成立していたとされる三七村に倍する村が以後開発されている。しかし両大河の増水による破堤が繰返され、とくに元禄一一年(一六九八)・宝暦七年(一七五七)の「和田切れ」、大正六年(一九一七)の「曾川切れ」などの被害は大きかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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