太平地区(読み)たいへいちく

日本歴史地名大系 「太平地区」の解説

太平地区
たいへいちく

西流する太平川は、小黒沢おくろさわ川・八田はつた川を合わせ、柳田やなぎだで南に流路を変える。柳田から東の丘陵間の太平川流域の集落を太平と総称する。

嘉禎四年(一二三八)の将軍家政所下文案(肥前小鹿島文書)にある楊田やなぎだ(→柳田村は鎌倉時代に集落を形成していた。

天正一六年(一五八八)の安東氏と小野寺氏の合戦に太平城主永井左近将監大江広治は、仙北せんぼく小野寺義道とともに安東実季攻略を企てた(奥羽永慶軍記)。翌一七年二月の湊合戦では湊(豊島)道季に加勢し、戸沢氏援兵を得ながらも安東実季に敗れた。湊・檜山両家合戦覚書(秋田家文書)は太平城主を次のように記す。

<資料は省略されています>

九郎は秋田家系図(秋田家文書)によれば豊島道季である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報