太田寛一(読み)オオタ カンイチ

20世紀日本人名事典 「太田寛一」の解説

太田 寛一
オオタ カンイチ

昭和期の農協職員 元・ホクレン農業協同組合連合会会長;元・全国農業協同組合連合会(全農)会長。



生年
大正4(1915)年10月10日

没年
昭和59(1984)年11月13日

出生地
北海道帯広市川西町

学歴〔年〕
川西町広野尋常小高等科卒

主な受賞名〔年〕
北海道新聞文化賞〔昭和51年〕,藍綬褒章〔昭和55年〕

経歴
昭和28〜57年士幌町農協長。35年ホクレン理事、47〜56年会長を務め、ピート工場、ハム・ソーセージ工場などの建設を手がけた。52〜54年全農会長。在任中は海外事業その他のプロジェクト構想を推進して全農事業の基礎を築く一方、農村ユートピアの夢を追求した。“北の闘魂”と呼ばれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太田寛一」の解説

太田寛一 おおた-かんいち

1915-1984 昭和時代農協役員
大正4年10月10日生まれ。昭和28-57年北海道士幌町農協組合長。澱粉(でんぷん)工場,ポテトチップス工場などの馬鈴薯(ばれいしょ)の食品コンビナートの建設に尽力した。47年ホクレン会長,52年全国農協連合会会長。昭和59年11月13日死去。69歳。北海道出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android