朝日日本歴史人物事典 「太田康宗」の解説
太田康宗
生年:建暦2(1212)
鎌倉中期,幕府問注所執事や評定衆などを務めた実務家。本姓三善。三善康連の子。初名は康政。建長3(1251)年引付奉行,康元1(1256)年引付衆となり,同年に父康連死去のあとを襲って問注所執事に補せられ,また父の所領であった備後国太田庄(広島県甲山町一帯)桑原方の地頭職を相続した。その後正嘉2(1258)年には評定衆に加えられたが,弘長2(1262)年,中風のため問注所執事の職を弟康有に譲って以後籠居した。これ以降,問注所執事の職は康有の子孫に相承されることになり,康宗の子孫は桑原方地頭職を相伝した。<参考文献>竜粛『鎌倉時代』上
(新田一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報