朝日日本歴史人物事典 「太田康有」の解説
太田康有
生年:安貞2(1228)
鎌倉後期,幕府問注所執事や評定衆などを務めた実務家。本姓三善。康連の子,康宗の弟。弘長2(1262)年,兄康宗が中風で籠居したあとを襲って問注所執事の職に就き,また評定衆に加えられた。同年勘解由判官,弘安3(1280)年には美作守に任ぜられて叙爵したが,弘安5年12月,寄合の席上中風で倒れて以後籠居し,翌年6月には問注所執事の職を子の時連に譲り,出家して法名を善有と称した。以後,幕府官僚としての太田氏の地位は康有の子孫に相承された。問注所執事としての職務上の記録に『建治三年記』がある。<参考文献>竜粛『鎌倉時代』上
(新田一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報