太田時連(読み)おおた・ときつら

朝日日本歴史人物事典 「太田時連」の解説

太田時連

没年貞和1/興国6.2.9(1345.3.13)
生年:文永6(1269)
鎌倉末・南北朝期の幕府官僚。本姓三善。康有の子。弘安6(1283)年,父康有籠居を受けて鎌倉幕府問注所執事となる。同8年,霜月騒動に関与して罷免されたが,翌年引付衆として幕政復帰,永仁1(1293)年には問注所執事に還補された。以後評定衆,引付頭人などを歴任し,嘉暦1(1326)年出家して道大と称したが,延元1(1336)年,室町幕府開幕に当たり,再び召し出されて問注所執事となった。執務上の記録として『永仁三年記』があるほか,『建武記』も時連の著作とする説もある。<参考文献>竜粛鎌倉時代』上,森茂暁『南北朝期公武交渉史の研究

(新田一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太田時連」の解説

太田時連 おおた-ときつら

?-? 鎌倉-南北朝時代の幕府官僚。
太田康有の子。弘安(こうあん)6年(1283)鎌倉幕府問注所執事となる。引付衆,寺社奉行,引付頭などをつとめる。元亨(げんこう)元年子貞連に執事をゆずる。のち出家したが,室町幕府成立後たびたび政務についた。法号は道大。日記に「永仁(えいにん)三年記」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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