20世紀日本人名事典 「太田洋愛」の解説 太田 洋愛オオタ ヨウアイ 昭和期の植物画家 ボタニカルアート協会創立委員。 生年明治43(1910)年 没年昭和63(1988)年5月5日 出生地愛知県 経歴19歳で旧満州に渡り、ハスで知られる大賀一郎博士に植物画の才能を見出され、日本における植物画の草分けに。15年に及ぶサクラの旅は「日本桜集」(平凡社)に結実。昭和55年、サクラ行脚を文章で綴った「さくら」(東京書籍)を出版。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太田洋愛」の解説 太田洋愛 おおた-ようあい 1910-1988 昭和時代の植物画家。明治43年9月30日生まれ。19歳で中国東北部にわたり,植物学者大賀一郎の指導で植物画の技法をまなぶ。日本各地を旅して桜の研究をつづけ,岐阜県で新種の「太田桜」を発見した。ボタニカルアート協会創立委員。昭和63年5月5日死去。77歳。愛知県出身。本名は保。著作に「日本桜集」「花の肖像」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by