太神宮参詣記(読み)だいじんぐうさんけいき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太神宮参詣記」の意味・わかりやすい解説

太神宮参詣記
だいじんぐうさんけいき

室町時代の医家坂十仏の著 (一説に十仏の子,士仏の著とも) 。『伊勢太神宮参詣記』ともいう。1巻。興国3=康永1 (1342) 年 10月伊勢安濃津に筆を起し,内外の両宮,諸別宮,摂社などに詣で,二見浦から再び山田に戻り,宿所の三宝院で連歌会を催すところまでを記したもの。書中に諸所の和歌が詠みこまれ,また神宮について種々詳記されている。外宮祠官伊勢神道の大成者度会 (わたらい) 家行と対面したときの印象など,当時の祠官の面影がまのあたりに記されており,伊勢神道の教説をも祖述している。

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世界大百科事典(旧版)内の太神宮参詣記の言及

【伊勢太神宮参詣記】より

…1342年(興国3∥康永1)坂十仏(さかじゆうぶつ)が伊勢神宮に詣でた際の参詣記。《太神宮参詣記》ともいう。作者は十仏の子士仏とされることもあるが誤り。…

【参詣記・参宮記】より

…《熊野御幸記》は藤原定家の《明月記》の一部で,1201年(建仁1)後鳥羽上皇の熊野御幸のときの記録で,別に途中の藤代王子,滝王子での和歌会の詠草をつけている。また有名なものに1286年(弘安9)伊勢豊受大神宮上棟拝観のため参詣した通海が,皇大神宮に詣で,神域で僧と布衣の俗人との問答を聞書したとの形式の《太神宮参詣記》(《通海参詣記》)があり,さらに1301年(正安3)撰の《他阿上人参詣記》,1342年(興国3∥康永1)坂十仏の《伊勢太神宮参詣記》等があり,また一方に西国三十三ヵ所巡拝,四国八十八ヵ所巡礼というように多くのものがみられる。【鎌田 純一】。…

【通海参詣記】より

…鎌倉時代後期につくられた伊勢神宮(大神宮)信仰の解説書。2巻。著者通海の名により《通海参詣記》と呼ばれることが多いが,正しくは《大神宮参詣記》。通海は神宮祭主大中臣隆通の子で,神宮近傍の蓮華寺(大神宮法楽寺)の僧となり,真言宗醍醐三宝院流を修行し,権僧正に達した。真言密教と伊勢神宮の沿革とに通じ,両者を調和させるべく,神宮参詣者と僧侶との問答の形式を採って本書を著した。成立は1287年(弘安10)前後と推定され,伊勢外宮(げくう)祠官による伊勢神道(度会(わたらい)神道)樹立直前の時期にあたる。…

※「太神宮参詣記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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