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度会家行 わたらいいえゆき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

度会家行
わたらいいえゆき

[生]建長8(1256)
[没]正平6=観応2(1351)
鎌倉時代末期の神道家。初名行家。父は伊勢神宮外宮祠官の度会有行。嘉元4 (1306) 年伊勢神宮外宮の禰宜となり,建武中興後の戦乱の際,北畠親房の協力者として活躍した。度会神道を大成し,神器と神勅を中心とし,正直と清浄を強調する神道説を述べ,度会神道展開に一転機を画した。主著類聚神祇本源』 (15巻,20) ,『神道簡要』『神祇秘抄』『瑚 璉集』。

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デジタル大辞泉の解説

わたらい‐いえゆき〔わたらひいへゆき〕【度会家行】

南北朝時代の神道家。伊勢外宮禰宜(ねぎ)で、伊勢神道の大成者。北畠親房と親交があり、南朝方を支持。著「類聚神祇本源」「神道簡要」。生没年未詳。

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百科事典マイペディアの解説

度会家行【わたらいいえゆき】

鎌倉末期の神道家。伊勢神道の大成者。伊勢神宮外宮(げくう)の禰宜(ねぎ)。宋学の影響を受け,独自の神道説をたてた。北畠親房(ちかふさ)の師で,後醍醐(ごだいご)天皇の吉野還幸,親房の常陸(ひたち)から吉野への帰還,楠木正行(まさつら)の挙兵などを援助した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

度会家行 わたらい-いえゆき

1256-? 鎌倉-南北朝時代の神職。
康元元年生まれ。暦応(りゃくおう)4=興国2年伊勢神宮外宮(げくう)の一禰宜(いちのねぎ)(長官)となる。伊勢神道を大成し,北畠親房(ちかふさ)らに影響をあたえた。南朝方として戦いにも出陣し,貞和(じょうわ)5=正平(しょうへい)4年北朝より解任された。晩年は不詳だが,一説に観応(かんのう)2=正平6年(1351)8月28日96歳で死去。家名は村松。初名は行家。著作に「類聚(るいじゅう)神祇本源」「瑚璉(これん)集」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

わたらいいえゆき【度会家行】

1256?‐1351?(康元1?‐正平6∥観応2?)
鎌倉末~南北朝時代の神道家。伊勢神宮外宮の祠官度会氏の生れで,父は外宮三禰宜有行。曾祖父の代から度会郡北浜の村松(現,伊勢市村松町)に住んだので,村松家行と称した。1306年(徳治1)外宮禰宜となり,40年(興国1∥暦応3)一禰宜に昇進,49年(正平4∥貞和5)までその職にあった。神宮では一禰宜を長官と呼ぶので,村松長官ともいった。51年に96歳で没したとする説があるが,正確な生没年はわかっていない。

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大辞林 第三版の解説

わたらいいえゆき【度会家行】

1256?~1351?) 南北朝時代、伊勢神道を大成した神道家。伊勢外宮の禰宜。南北朝時代の勤王家として北畠親房に大きな影響を与えた。著「類聚神祇本源」「瑚璉これん集」「神道簡要」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

度会家行
わたらいいえゆき

生没年不詳。鎌倉末期より南北朝期の伊勢(いせ)神宮外宮(げくう)(豊受(とようけ)大神宮)禰宜(ねぎ)で伊勢神道(しんとう)の大成者。外宮禰宜度会(村松)有行(ありゆき)の子。1306年(徳治1)禰宜となりしだいに昇進、41年(興国2・暦応4)一(いちの)禰宜(長官)となって49年(正平4・貞和5)まで勤めた。家行はその大きな時代の変動期に祠官(しかん)として奉仕するとともに、行忠(ゆきただ)・常昌(つねよし)らに次いで学者としても優れ、『神道簡要』1巻、『類聚神祇本源(るいじゅうじんぎほんげん)』15巻、『神祇秘鈔(ひしょう)』1巻、『瑚(これん)集』5巻などを撰(せん)している。なかでも『類聚神祇本源』はその代表作で、神宮古典のほか和漢の諸書を引用して天地開闢(かいびゃく)より天照大神(あまてらすおおみかみ)の出現、神宮の鎮座、神宣、また神道について論じており、本書は後宇多(ごうだ)上皇、後醍醐(ごだいご)天皇の閲覧を受け、北畠親房(きたばたけちかふさ)も一覧しており、南朝へ大きな思想的影響を与えている。また家行は南朝を助け、38年(延元3・暦応1)北畠顕信(あきのぶ)が義良(のりよし)親王・宗良(むねなが)親王を奉じ、親房とともに海路伊勢より東国へ向かう便を図った。43年(興国4・康永2)には親房が東国より逃れ吉野へ帰るのを助け、47年(正平2・貞和3)楠木正行(くすのきまさつら)と連絡をとりつつ南勢方面で戦った。このようなことで49年北朝側より違勅の科(とが)で解却(げきゃく)された。[鎌田純一]

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世界大百科事典内の度会家行の言及

【類聚神祇本源】より

…鎌倉時代末の神道書。度会(わたらい)家行著。15巻。…

※「度会家行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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