日本歴史地名大系 「太秦門前村」の解説
太秦門前村
うずまさもんぜんむら
村域は
太秦の中心地で、秦氏の根拠地として早くから開拓された地と思われ、その氏寺でもあった広隆寺の建立によって、門前集落として発展した。貞観一五年(八七三)の広隆寺資財帳(広隆寺文書)や、その後の広隆寺資財交替実録帳(同文書)には、広隆寺に付属した付近の田地の明細が記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
村域は
太秦の中心地で、秦氏の根拠地として早くから開拓された地と思われ、その氏寺でもあった広隆寺の建立によって、門前集落として発展した。貞観一五年(八七三)の広隆寺資財帳(広隆寺文書)や、その後の広隆寺資財交替実録帳(同文書)には、広隆寺に付属した付近の田地の明細が記される。
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