夷山城跡(読み)えびすやまじようあと

日本歴史地名大系 「夷山城跡」の解説

夷山城跡
えびすやまじようあと

[現在地名]徳島市八万町 夷山

八万はちまん町の東方、冷田つめた川北岸にある。標高二四メートルの小さな山城跡。往時城山の周囲に沿って水濠がめぐらされていたようで、現在もその名残用水堀や溝になって残っている。山頂の曲輪は南北三一メートル・東西一四メートルと小さいが、急峻な独立丘である。南東端の最高所に忠魂碑があり、この付近の斜面は急崖となっている。南側には円福えんぷく寺があり、江戸時代末までは同寺に隣接して蛭子えびす神社があった。夷山城の名は同社に由来するといい、蛭子山えびすやま城とも記される(城跡記)。同社は神仏分離によって明治三年(一八七〇)とおり町に移転し、事代主ことしろぬし神社となった。

観応三年(一三五二)五月二〇日の飯尾吉連等軍忠状写(碩田叢史)によれば、飯尾吉連代光吉・沙弥心蔵らは、細川頼之方に属して観応元年一二月二七日「八万城」に籠り、敵方と戦った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android