朝日日本歴史人物事典 「奈良原喜左衛門」の解説
奈良原喜左衛門
生年:天保2.6.23(1831.7.31)
幕末の薩摩(鹿児島)藩士。父は助左衛門。繁の兄。安政5(1858)年,藩主島津斉彬の命を受け一橋慶喜擁立工作を進め失敗,帰藩。同6年11月,薩摩藩尊攘派ともいうべき誠(精)忠組に参加。文久2(1862)年島津久光の率兵上洛に随従,有馬新七の挙兵計画の中止を図る。さらに随従して江戸へ,その帰路,生麦(横浜市鶴見区)に英人リチャードソンを切りつける(生麦事件)。翌3年7月薩英戦争に参軍,海江田信義と共に英艦奪取を計り失敗。のち京坂の地に活動し,京都二本松の藩邸に病没。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報