コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

奈良原喜左衛門 ならはら きざえもん

2件 の用語解説(奈良原喜左衛門の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

奈良原喜左衛門 ならはら-きざえもん

1831-1865 幕末の武士。
天保(てんぽう)2年6月23日生まれ。奈良原繁の兄。薩摩(さつま)鹿児島藩士。薬丸自顕流剣法の達人。尊攘(そんじょう)派として誠忠組にはいる。文久2年(1862)武蔵(むさし)生麦(なまむぎ)(神奈川県)で江戸から京都にむかう途中の島津久光の行列の前を横ぎったイギリス人リチャードソンらを殺傷した(生麦事件)。慶応元年5月18日死去。35歳。名は清。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

奈良原喜左衛門

没年:慶応1.5.18(1865.6.11)
生年:天保2.6.23(1831.7.31)
幕末の薩摩(鹿児島)藩士。父は助左衛門。繁の兄。安政5(1858)年,藩主島津斉彬の命を受け一橋慶喜擁立工作を進め失敗,帰藩。同6年11月,薩摩藩尊攘派ともいうべき誠(精)忠組に参加。文久2(1862)年島津久光の率兵上洛に随従,有馬新七の挙兵計画の中止を図る。さらに随従して江戸へ,その帰路,生麦(横浜市鶴見区)に英人リチャードソンを切りつける(生麦事件)。翌3年7月薩英戦争に参軍,海江田信義と共に英艦奪取を計り失敗。のち京坂の地に活動し,京都二本松の藩邸に病没。

(井上勲)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

奈良原喜左衛門の関連キーワード樺山資雄児玉源之丞呂宋助左衛門鹿児島古薩摩有村雄助大迫貞清妻屋宗左衛門中島健彦松脇五左衛門

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone