日本大百科全書(ニッポニカ)「行列」の解説
行列
ぎょうれつ
matrix
m、nを自然数としてmn個の数aij(i=1, 2,……, m ; j=1, 2,……, n)を
と並べたものをm×n型行列という。この型の行列の全体をMと記すことにする。たとえば、すべてのaijがゼロである行列はMの元であるが、とくに零行列とよばれてOと表される。
A、BをMの元、すなわちm×n型行列とする。AとBとの和A+Bを成分ごとの和
で定義する。
するとMはこの演算で閉じており、加群をなすことが、ごく簡単に示される。単位元はOである。次にcを数(スカラー)とし、cとAとの積cAを(i, j)成分がcaijなる行列として定義する。すなわち
である。
最後に行列の積を定義するが、簡単のためmとnとが等しい場合、すなわちn次正方行列に限定する。AとBとの積ABの(i, j)成分を
とする。すなわち
である。たとえばnが2のときを例にとると、
となる( )。
A、B、Cをn次正方行列とすると
が成り立つ。なお一般には積に関しては可換法則AB=BAは成り立たないことは注意を要する。ただEを単位行列
とすると、AE=EA=Aが任意のn次正方行列Aに対して成り立つ。
以上を総合して、代数学の用語を使うならば、n次正方行列の全体は、単位元を有する非可換な環をなすことがわかる。
なお、m≠nの場合でも、Aがm×n型行列、Bがn×l型行列の場合、積ABが定義される。その方法は正方行列の場合に準ずる。
[足立恒雄]
連立一次方程式
行列の例として連立一次方程式を考える。次の連立一次方程式
は、また
と置くとき
Ax=b 〔2〕
と表せる。このように行列を用いると、連立一次方程式の表示がきわめて簡単になる。
さて、ある正方行列Bが存在してBA=Eが成り立つものとすると(Eは単位行列)、〔2〕の両辺に左からBを掛けることによって
x=Bb
と解xが求められることになる。このようなBのことをAの逆行列といい、A-1と表す。逆行列はあるとしてもただ一つで、このときAA-1=A-1A=Eが成り立つ。逆行列の存在する正方行列を正則であるという。行列Aが正則である条件は、Aの行列式|A|がゼロでないことである。以上により、Aが正則なときは〔2〕、したがって〔1〕はただ1組の解をもち、それはA-1bと表される。
[足立恒雄]
掃き出し法
ここでは数値的に連立方程式を解く方法を述べる(
をとる。未知数と等号を略して のように記す。方程式の順序を入れ換えても解は変わらないから、 の行列の行を入れ換えてもよい。また一つの方程式に一定の数を掛けて他の方程式に加えても解は変わらないから、一つの行を何倍かして他の行に加えてもよい。また一つの行にゼロでない数を掛けてもよいことが同様にわかる。列に関しては、最後の列以外の2列を入れ換えてもよいこと以外は許されない。これらの操作を繰り返して単純な形へと変形した過程が である。結果としてx=-1, y=0, z=2という解を得る。以上の解法が掃き出し法である。興味深いのは、行に関する三つの基本変形(行の入れ換え、一つの数を掛けて他の行に加える、ゼロでない数を一つの行に掛ける)が、特殊な正則行列を左から掛けることで表現できることである。 で2×2行列の場合を例示してあるが、一般でも同様である。
[足立恒雄]
行列の階数
Aをm×n型行列とする。いま、行基本変形とともに列基本変形も許すとする。列基本変形は、行基本変形の行列をAに右から掛けることによって得られる。Aに行と列の基本変形を何回か行って、主対角線上に1が、他は0がくるようにする。最後に残った1の数をAの階数(ランク)という。Aがn次正方行列のとき、Aが正則である条件は、Aの階数がnとなることである。
[足立恒雄]
逆行列の求め方
n次正方行列Aが正則のときは、前項で記したように階数はnである。したがって施した行基本変形を掛け合わせてB、列基本変形を掛け合わせてCとするとBAC=Eとなる。両辺に左からC、右からC-1を掛けると
C(BAC)C-1=CEC-1=CC-1=E
ゆえに(CB)A=Eを得る。CBは行基本変形を何回か行う行列であるから、結局、行基本変形だけでAをEに変えることができる。またこのCBが逆行列である。いまXA=EとすればXE=Xだから、AをEに変える行変形をEに施せば、逆行列Xが得られることになる。これが の逆行列を求める原理である。
[足立恒雄]
行列と線形写像
V、Wをベクトル空間、TをVからWへの線形写像とする。すなわち、Vの任意の二つのベクトルx、yとスカラー(数)λに対して
T(x+y)=T(x)+T(y),
T(λx)=λT(x)
が満たされるとする。Tが上への一対一写像であるとき、Tは同形写像であるといわれる。同形写像が存在するとき、VとWは同形であるといわれる。また、V=Wのときは線形写像は線形変換といわれる。
n項縦ベクトルの全体Rnは代表的なベクトル空間である。いま、VがRnで、WがRmである場合を考える。Aを一つのm×n型行列とする。Vの縦ベクトルxに対して
Tx=Ax 〔3〕
でもって写像T : V―→Wを定義すれば、Tは線形写像である。ところが逆にTをVからWへの線形写像とすれば、〔3〕を満たすような行列Aがとれる。すなわち、縦ベクトルのなすベクトル空間の間の線形写像とは行列のことである。AをTに対応する行列という。RmとRnとはm=nのときに限り同形である。また正方行列Aが同形写像を与える条件は、Aの行列式|A|が0でないことである。このことは連立一次方程式〔2〕の解の存在の条件からもわかる。有限次元のベクトル空間は同一次元の縦ベクトルの空間に同形であるので、有限次元のベクトル空間の間の線形写像は、縦ベクトルのなす空間に移してみれば行列で表現される。これにより有限次元のベクトル空間の理論は行列の理論そのものであることになる。これが行列の概念を重要なものとする最大の理由である。
[足立恒雄]
一般の連立一次方程式
未知数の数と方程式の数とが一致するとは限らない場合を考える。
という連立一次方程式は、Aを係数のなすm×n型行列、xを未知数のなすn項縦ベクトル、bをb1、……、bmのなすm項縦ベクトルとすると
Ax=b 〔4〕
と表せる。ÃでもってAの右にbを並べたm×(n+1)型行列を表すことにする。
Ãに行基本変形とn+1列目以外の列の入れ換えとを行って得られる標準形が
であるとする(こういう形にかならず変形できる)。rはAの階数である。この行列を入れ換えた列の変数を付け換えて連立一次方程式に直してみると
となる。したがって〔4〕が解をもつ条件は
dr+1=……=dm=0
すなわち、Aの階数とÃの階数が一致することである。そしてこの条件が満たされるとき、上の方程式の解は、ベクトルで表すと
x=λ1c1+……+λn-rcn-r+d
(λ1,……,λn-rは任意の数)
の形である。b1、……、bnがすべて0の場合、自明でない解、すなわちx1、……、xnがすべては0ではない解を有する条件はn>rである。とくにn>mつまり未知数の数が方程式の数より大きいならば(m≧rだから)つねに自明でない解を有することになる。
[足立恒雄]
『田島一郎著『新しい数学へのアプローチ4 線形代数』(1970・共立出版)』