改訂新版 世界大百科事典 「奉徳寺鐘」の意味・わかりやすい解説
奉徳寺鐘 (ほうとくじしょう)
Pongdoksa-jong
いわゆる朝鮮鐘のうちで,最も優美な巨鐘として知られる。鐘腹の側面に2ヵ所,漢文で陽鋳された銘文がある。全体に磨滅はひどいが,銘文によると,当時,聖徳大王神鐘と呼ばれて,新羅の王都,現在の韓国慶尚北道慶州市にあった奉徳寺にかかっていたものである。奉徳寺は,738年(開元26)に,孝成王によって,父聖徳王追福のため創建されたものである。ところが,孝成王は存位わずか5年で没したため,弟の景徳王がその位を継ぎ,そして12万斤の銅を用いて,一大梵鐘を鋳造しようとしたが,在世中に完成せず,景徳王の子恵恭王が,771年(大暦6)にようやく父王の意志を継いで完成したという経緯がある。その後,奉徳寺が洪水で流失し,鐘は慶州で転々と所在を移したが,現在は,国立慶州博物館に保管されている。この梵鐘は新羅最大のもので,通高3.33m,口径2.27mを測る。竜頭,旗挿しは雄健であり,肩帯乳郭および口帯の宝相華文はきわめて繊細優雅である。とくに飛天は流麗であり,撞座(つきざ)の蓮華文も豊麗である。〈エミレの鐘〉の別称でも名高い。
執筆者:西谷 正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報