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景徳王 けいとくおう Kyǒngdǒk-wang

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

景徳王
けいとくおう
Kyǒngdǒk-wang

[生]?
[没]恵恭王1(765)
朝鮮,新羅の第 35代の王 (在位 742~765) 。名は金憲英。諡は景徳。統一新羅の最盛期にあたり,唐へ盛んに使者を送り中国文化導入に努力,制度,官職,地名などを中国風に改めた。景徳王 16 (757) 年には,9州,5小京,117郡,293県を整備。

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世界大百科事典 第2版の解説

けいとくおう【景徳王 Kyŏng‐dŏk‐wang】

?‐765?
朝鮮,新羅の王。在位742‐765?年。姓は金,諱(いみな)は憲英,献英。唐との間に活発な交渉をすすめ,757年以後,州郡県や官制の名称を中国式に改めて国制の再編成をはかるかたわら,官僚の月俸をやめ禄邑を復活した。唐の学術の導入,仏国寺石窟庵等の造営は,新羅文化の粋を生んだ。しかし,つづく恵恭王代になると貴族の反乱があいつぎ,王は殺害されて(780),奈勿王の10世孫に当たる宣徳王が即位し,7世紀中葉から続いた武烈王統が絶えるにいたる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

景徳王
けいとくおう
(?―765)

朝鮮、新羅(しらぎ)の第35代王(在位742~765)。諱(いみな)は憲英。前王孝成王の同母弟、父は聖徳王。聖徳王代に獲得した大同江以南の地域に対する経営に力を入れるとともに、唐の制度に倣った官制改革を実施するなど、支配体制の強化に努めた。また仏国寺と石窟庵(せっくつあん)は、この王の代に創建されたと伝えられるように、仏教を中心とした新羅の文化が大きく花開いた最盛期であった。しかし、一方では、三国統一以来進められてきた中央集権化の矛盾も顕在化し、貴族官僚の地域支配を否定するために一度は廃止された禄邑(ろくゆう)制度(俸禄(ほうろく)制度の一つ。特定の地域を禄邑に指定し俸禄などの経費にあてた)が、757年に復活し、貴族官僚の勢力基盤の拡大、強化に道を開くことになった。こうした矛盾はやがて諸勢力の対立を生み出し、次の恵恭王代には内乱が多発するようになった。[木村 誠]

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